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堀越城跡
登城日:(2003.06.28)
所在地: 弘前市堀越字川合・柏田
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
神社境内に残る堀跡と土塁跡  堀越城は、津軽統一を成し遂げた津軽藩祖津軽(大浦)為信の居城です。この城は南北朝時代(14世紀)に曽我貞光によって築かれたとされ、16世紀の中頃は大浦氏の居城になったといわれています。
 為信は、津軽統一の初まりとなった元亀二年(1572)の石川城攻めにここの城より出陣し、統一後の文禄三年(1594)には、本拠を大浦城(現・岩木町)より、ここ堀越城に移しました。しかし、内乱により容易に本丸まで攻め込まれることなどから新城が計画され慶長十六年(1611)に弘前城へ移転しました。それまでの十七年間、堀越は津軽の政治・経済の中心として栄えたところです。

『堀越城跡案内板』より

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資料
 

私見
神社のまわりを土塁が囲んでいます。  青森県、とりわけ津軽地方をいくつかまわっていてわかったのですが、津軽氏の詳しい歴史に諸説あり、断定が難しい状態だったんですね。南部氏側の資料と津軽氏側の資料とでそれぞれ供述が異なるのは別にここだけのことじゃないとは言え、資料が乏しいから後世となっては判断が難しいんですね。
 まぁそれはさておき、弘前城を目指して国道7号線を北上していたわけですが、道路にほど近いところに堀越城跡があることが地図を見ていてわかったのでたまたま立ち寄ったという程度だったのがきっかけでした。
 しかし、いざ言ってみると案内板や城址碑はあるし、神社となった城跡には堀跡や土塁、郭跡などが結構はっきりと残っておりかなり良好な状態だということ、さらにはそれが国の指定史跡だったということがびっくりでした。たまたま拠ったのに、津軽氏の重要な拠点だったなんて・・(^^;
 青森県となると、どうしても現存天守である弘前城に目を奪われがちですが、その手前にある堀越城にもぜひ立ち寄られることをお奨めします。
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