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甘崎城跡


登城日:(2004.05.01 → 2010.05.01)
所在地: 今治市上浦町甘崎
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
大三島から150m離れた古城島にある甘崎城跡 そのものズバリな看板 干潮時に見られる石垣  古城島甘崎城跡は古名を天崎城と記され、守護神を祭る甘崎荒神社(現地)の伝えによると天智天皇十年(671)八月七日唐軍の侵攻に備えて、勅命によりて築城すと云。その初名を上門島海防城といいし由、以って日本最古の水軍城とすべく、以来瀬戸内水軍史上にその名を記し、重ねることはなはだ多く、元禄四年(1691)この沖を航したドイツ人ケンペルも帰国後「日本誌」にその雄姿を記して「海中よりそびゆる保塁あり」と述べた。今日の姿になったのは幕末のころらしく、海底にはなお築城礎石の巨石の列20余条延べ約1000メートルを存し、その技法の一部は古代に属するものと見られている。

『甘崎城跡案内板』より

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資料 【地図を表示する】
 

私見
 大三島に渡りました。この島で拝める城跡は島の南東部の海岸に面した海上にある甘崎城跡です。白村江の戦いに破れた天智天皇は唐軍の追撃に備えて対馬から大阪あたりまでの瀬戸内にいくつかの城を築きました。ここもその一つだそうです。海岸沿いに案内板があり、ここからはすぐ目の前です。約100メートルほどの距離なので泳げばすぐなんですけどねぇ(^^;
 でもこの城跡、というか島は干潮時には歩いて渡れるんだとか・・そういえば島からこちらに伸びてくる1本の道がうっすらと海面に見えているのが確認できます。限られた時間のみ現れる城への大手道。素敵ですねぇ。
 干潮時には島の周囲に石垣や柱穴も見られるんだとか。どなたか渡られた方いらっしゃったらその時の様子を教えてください。
算木積みの隅石 ピット痕  ほんの思いつきで潮の干満をチェックしていたのですが、ちょうど明るい時間帯で大潮の干潮を迎える日があることに気づきました。この日しかない!ということで急きょ甘崎城を強襲してみました。大三島の対岸に着くとまだ潮は引いていないようです。予定時刻30分前、ほんとに歩いていけるのだろうか・・と不安になりながら海面を眺めていますとそれは突然やってきました。みるみるうちに潮が引いていきます。まるでどこかに吸い寄せられるように海水がどんどんなくなっていきます。これはもう行かねば!と思い、長靴をはいて海中に入っていきます。水の流れが岸と並行して動いていたのが印象的です。
 どうやら歩いていけそうだということを確認すると、急いで古城島を目指します。別に慌てなくてもいいのですが、目の前にお城があるとそういうものですよね。まず海面にその姿を現したのは南側にある石垣です。大きな石が使われており、4段ほど詰みあがっています。隅石はきっちり算木積みとなっていますね。これは藤堂高虎が伊予に配された後の遺構だそうですので、白村江の戦いの後から考えると随分と長い間、城として活用されていたのですね。
古城島の遺構 古城島の遺構  そうこうしているうちにすっかり島はその全容を表すようになっていました。足元がすべりますので慎重に、でも気ははやりますので歩みがもどかしいです。主に東側に丸い穴が多く集まっているのがわかりますね。船を繋留させるための杭が立っていたピット跡です。沖に向ってまっすぐ列を成しているように残されています。そしてそのまま島を一周してみます。北東にある小さな島も城の出丸の役割を担っていたようですが、ここも地続きとなっています。
 島を一周してきますと完全に大三島と1つの大きな道が姿を現していました。地元の方でしょうか、手にバケツを持って次々とやってきます。どうも潮干狩りをするようですね。私は島の南西部から取り付き、島の頂部にあがってみました。特に目を見張る遺構があるわけではないですが、大きく二段に分かれた地形で少し土塁のように見えるものもあるといった程度でしょうか。ここがどれだけ城として機能するに足るものだったのか、上にあがってみて改めて疑問を感じました。とは言えここに上がれただけで十分満足です。
曲輪跡の区画か?  完全に干上がった道を戻っていきますと、城の西側に石列が見えていました。曲輪として使われていたのでしょうか、隅もわかるほどに区画された様子がわかります。やっぱりここは城跡なんですねぇ・・。
 ところで、往時はどうやって水を確保していたのでしょうか。井戸はもちろんありませんので、大三島から飲料水を確保してこなければなりません。能島城も同様でしたが、ここ甘崎城も対岸から運んできていたようです。地図を見れば最寄のバス停が「水場」となっています。果たして関連があるのかどうかはわかりませんが、こういうのってワクワクしてきませんか。バスが廃止されずに残されることを祈るばかりです。
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