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能島城跡
登城日:(2004.05.02)
所在地: 越智郡宮窪町能島
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
手前が三の丸となる能島城跡  能島城は、村上氏が能島・来島・因島の3氏に分立した応永二十六年あたりに築城されたとされている。代々能島村上氏にとって重要な拠点として存在していたが、天文十三年(1585)豊臣秀吉による四国平定の後、村上氏が竹原へ移封したのに伴い、廃城となった。

『日本城郭体系16』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
出丸となっていた鯛崎島  国の指定史跡能島城跡を一目見ようと伯方島でレンタサイクルを借り、大島へ渡りました。実はあとでわかりましたがこの選択は大正解で、計算外の城へも訪れることになります。
 伯方島から大島へと渡る途中から左手に能島が見えてきます。大島の宮窪から船が出ているようで何度か目にします。能島の周囲は潮の流れが速く、これが天然の要害を形成していたようですね。縄張りは能島の中心を本丸とし、その周りをニの丸、西へ三の丸があります。また、鯛崎島のほうへ張り出した岬には出丸が、三の丸の反対側には矢倉があったようです。さらに、隣接する小島の鯛崎島にも出丸が形成されていたようです。島には無数の柱穴が残っているようで、直接目にしたかったのですが、対岸から眺めるだけにしました。結構観光客がいるのか、小さな船が頻繁に島のまわりをまわっていたのが印象的でした。
 あとで知ったのですがこの小さな船、潮流体験の船みたいです。大人500円で能島のまわりをまわって観光案内と渦潮を見せてくれるとか・・くぅ。無念。
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