HOMEへ

大洲城跡


登城日:(2006.08.13)
所在地: 大洲市大洲
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
大洲城から見おろした肱川 復元された大洲城天守です。  肱川が蛇行する小高い山上に城が作られた歴史は古い。元徳二年(1330)に宇都宮豊房が伊予国守護に任じられた際に翌年、地獄嶽城を築城した。城の名となった由来はこの山に地蔵が祀ってあったからだという。
 やがて、宇都宮氏の家老であった大野直之が城主となり、さらに戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞隆が次々と城主をつとめ、最後の加藤氏になってから明治維新まで大洲六万石の居城として繁栄を続けた。
 宇都宮氏が地獄嶽城を築城した以前には、比志城という城があり文治元年(1185)に阿波の田内則能が河野通信の比志城を攻めたとある。これがのちの地獄嶽城となるのかは想像の域を出ないようだ。
 地獄嶽城がのちに大津城と呼ばれるようになり、それがやがて大洲城となったのは加藤泰興の代であった。

『日本城郭体系16』新人物往来社刊参照

【戻る】

資料
 

私見
大洲城本丸から見下ろした芋綿櫓 肱川越しに見上げた大洲城  大洲城が現在のように四階四層の天守となったのは、大洲市市制50周年事業として2004年に再建された時からです。真新しい天守ですが木造天守として実に忠実に再現されていますので見ごたえ十分です。まずは肱川越えに撮影をすますと、肱川橋を渡り、右折し市民会館の駐車場に車を停めます。すでに城内に入っていますので、二の丸の石垣があり、すぐに登ると高欄櫓と連結した天守がすぐに見えてきます。この高欄櫓とあわせて台所櫓は現存する櫓として重文に指定されています。
 本丸から肱川を見下ろすと芋綿櫓が目に入ります。南側に少し離れたところにある三の丸南隅櫓ともどもうっかり忘れてしまいそうなところに建っていますがこれらもしっかりと見ておきましょう。
 大洲城下は狭い路地が残るかつてを偲ばせる雰囲気を色濃く残っており、観光としてぶらつくにもいいですね。ポコペン横丁も楽しそうでアリマス(笑)。
【戻る】