HOMEへ

後瀬山城跡


登城日:(2005.05.04)
所在地: 小浜市伏原
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
16段もの郭が続きます。  後瀬山城は大永二年(1522)戦国争乱の防備として若狭守護武田大膳大夫元光が築城した中世の山城である。
 城郭は海抜168メートルの山頂に主郭を配置しそれより北側八幡神社の裏山まで400メートルの間に16段の小郭を階段状につくっている。主郭の西南枝峰にも同じく小郭が18段あって、その山麓に武田氏館があった。現在の小浜小学校、空印寺がその跡地。さらに主郭の西側には巾広い空堀を隔てて西郭がある。ここは城の御殿と推定され築山など庭園らしい跡も残されている。
 城は戦国時代各地につくられたものと大差はないが、西側には斜面にそって四本の竪堀がつくられており、ゆるやかな斜面の守りを固めている。東側は急斜面のため部分的に竪堀をつくるが集中されていない。そのかわり元光は発心寺を造営し北東の城砦的役割を持たせたと思われる。
石垣もよく残っています。  城主は元光、信豊、義統、元明と四代続いたが、永禄十一年(1568)越前守護、朝倉義景が、この城を攻め元明は敗れ、越前へ連れ去られた。
 天正元年(1573)朝倉氏滅亡後、丹羽長秀が国主としてこの城に入り、石垣を積むなどして補修した。現在の石垣はそのときのものである。そののち、浅野長吉、木下勝俊などと豊臣秀吉の家臣が若狭国主としてこの城を利用したが、慶長五年(1600)関ヶ原の攻で京極高次が国主となり、翌六年より小浜城を築城。後瀬山城は廃城となった。

『後瀬山城跡案内板』より

【戻る】

資料
 

私見
石垣もよく残っています。  国道27号線「後瀬山東」信号を曲がり、すぐに左折し小さな神社の鳥居をくぐりますとその先が後瀬山城(のちせやま)の登城口です。駐車スペースも数台分はありますので車で来られる方も安心ですね。
 そこから登っていくのですが私は朝駆けの駄賃としてやってきていますので爽やかな気分で駆け上がります。約20分ほどでしょうか、山頂までの途中でかなりの数の郭が段差を形成しているのがわかります。16段なのですね。
 また、山頂付近には石垣も残されていますのに加え、竪堀など山城の遺構がかなりそのまま残っていますので満足感や達成感は間違いないものです。
  頂上部には神社が置かれています。  と、私はそのまま下山してしまったのですがよく考えると西側の武田氏館側の尾根にも同様に郭群が形成されていたのでした(;_;)。縄張り図を見ますと畝状竪堀もあるようですし、普段の登城道(神社参道)でもこの状態なのですからさぞかし素晴らしい遺構が眠っているんじゃないかなと思います。
 こちらの西側遺構には小浜小学校側からもアクセスできるようですのでそちらから登られた方がいらっしゃればその時の状況を教えてください(苦笑)。
 朝の小浜湾や周りの風景も楽しもうと思ったのですが、後瀬山城で眺望を楽しむことはできませんでした。そうそう・・・登城道に置かれた枕木がなんとも違和感を覚えたのですが途中に「日本国有鉄道」の看板がありました。今はJRの土地なんでしょうか、ひょっとして鉄道ファンにも楽しめる山城だったりするかもしれません?(笑)。
【戻る】