HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

福島城跡
登城日:(2003.09.21)
所在地: 福島市杉妻町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
茶室があったとされる紅葉山公園 県庁舎前におかれた城址碑と案内板  現在の福島県庁の地には福島城がありました。この地は、戦国時代までは、杉目城(杉妻城)または、大仏城とよばれていました。「大仏城跡出土宝塔」(県重文)は大仏城の由緒を示しています。応永二十年(1413)、伊達持宗が大仏城に立てこもり、関東公方足利持氏に背いたとの記録があり、戦国時代末まで伊達氏の居城でした。
 豊臣秀吉の奥羽仕置により、蒲生氏郷から信夫五万石を任された木村吉清は文禄元年(1592)ころ大森城から杉目城に移り、福島城と改称しました。しかし、文禄四年、秀吉の命で福島城は取り壊され、その後当地は、上杉氏(1598〜1664)、本多氏(1679〜82)、堀田氏(1686〜1700)が入部し、その間は幕領となるなど頻繁に領主が変わりましたが、新に城は築かれず、陣屋での支配が行われていました。
 元禄十五年(1702)、板倉氏が三万石で信濃から入り、福島城の整備が行われました。福島城の総面積は約25ヘクタールで、天守閣はないものの三万石の大名の居城にしては大規模なものでした。本丸は現在の知事公館付近、政務をとる二の丸は県庁舎付近にあり、城の南東を阿武隈川が流れ、その流水が内堀を巡っていました。藩主が住む殿中から眺めたお庭が現在の紅葉山公園です。また庁舎の南側には当時の土塁が残っています。

『福島城跡案内板』より

【戻る】

資料
 

私見
県庁南側に残る土塁  JR東北本線「福島」駅東口から約10分ほどで福島県庁前に出ることができます。庁舎手前に福島城址と彫られた石碑が置かれています。その脇に案内板もありますが、道路からは見えない向きになっているので石碑前までいってから振り向かないといけません(笑)。
 さて、続いて紅葉山公園を散策し、そのまま阿武隈川を見下ろすところまで歩いてみました。この日は雨だったので勢いよく流れる阿武隈川はまさに天嶮の堀であることが実感できます。
 福島城はすでにかなり破壊されてしまっていますので見所は少ないです。が、やはり現存しているという土塁を見逃してはいけませんよね。ってことでぐるっと県庁を大回りして確認して、次のお城に移動することにしました。
【戻る】