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出張城跡
登城日:(2002.03.23)
所在地: 府中町宮の町三丁目六番
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
出張城跡  出張城跡は、室町時代中頃の応永年間(1394−1428)に下総国から安芸国に移り、瀬戸内水軍となった白井氏の城跡と伝えられている。
 出張城の呼称は、現宮の町一丁目と同三丁目堺の古山陽道沿いを出張市と呼んでいたことから、字名にちなんで近世に命名されたものと思われ、中世の史料には府城・国府城・芸府城などと記されている。
 城は本丸を中心として数段の郭を設けているが、現在では出張城は一族の拠る仁保城(広島市黄金山)とともに広島湾頭において銀山城の防禦線の役割を果たしていた。ところが周防大内氏の支配権が及んできた大永年間末(1527)にはその配下となり、佐東郡牛田・山本などに領地を与えられ、海上でも一層活躍している。しかし天文20年代以後(1551〜)は次第に毛利氏に領地を奪われ、活動の拠点もこの地から離れていったものと思われる。

『出張城跡案内板』より

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資料
 

私見
出張城跡  JR向洋駅から北へ向かって歩くこと約30分ほど、ほんと疲れました。出張城は比高25mほどの小高い丘陵地にの上にあり、登城口は個人宅の玄関口へと続く石段を使います。石段を上りつめると畑が広がっています。そしてその先には鬱蒼とした竹林が行く手を遮っています。
 ってその竹林の前に城の案内板があり、この一帯が城跡であったことを教えてくれています。しかし残念ながらそれ以上は踏み入ることができません。「立ち入り禁止」みたい・・でした。しかしそれ以上にこんな藪のなかに入りたくないです(笑)。
 この一番奥に位置する北部の段を最高位に、南側の畑地はどうやら郭だったみたいです。藪も深いし、立ち入り禁止なのはちょっとつらいですが、現状を維持してくれてるってことでよしとしますかねぇ。
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