HOMEへ  

広島城跡
登城日:(2001.03.23)
所在地: 広島市中区基町21番1号
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 広島城跡 ◆史跡広島城跡
  指定昭和二十八年三月三十一日
  指定地 本丸跡、二の丸跡、堀およびその周辺
  別名 鯉城(りじょう)・在間城(ざいまじょう)
  形状 太田川河口の低湿なデルタ上に築かれた大規模な輪郭式の平城

◆平櫓・多聞櫓・太鼓櫓(復元)
 規模 平櫓 桁行12.43m、梁間8.64m、棟高7.76m
    多聞櫓桁行67.86m、梁間4.93m、棟高5.13m
    太鼓櫓桁行8.49m、梁間7.76m、棟高10.60m

 平櫓、多聞櫓及び太鼓櫓の創建時期は、天正期末(16世紀末)頃と推定されています。このうち太鼓櫓は17世紀初期に改修されたものの、3棟とも江戸時代を通して、二の丸の馬出機能を確保する建物として存在していました。その後、平櫓及び多聞櫓西半分(平櫓側)は明治初期に取り壊され、残った太鼓櫓や多聞櫓東半分についても昭和20年5月6日の原爆被爆によって倒壊炎上しました。
 この建物は、平成元年の広島城築城四百年を記念して、発掘調査や昭和初期に当時の陸軍本部が作成した実測数値、明治から昭和にかけての写真等をもとに、復元に着手し、平成5年8月に完成したものです。

多聞櫓と表御門 ◆二の丸表御門(復元)
 規模 桁行7.64m、梁間4.85m、軒の出1.27m、軒高7.03m、棟高10.61m
 構造 木造脇戸付櫓門、入母屋造、本瓦葺、軸部真鍮、軒塗鷹、両側面一問庇付

 表御門は天正期末(16世紀末)頃の建造と推定され、昭和20年の原爆被爆による消失までの約350年間存続していました。
 現在の表御門は、平成元年の広島城築城四百年を記念して復元に着手し、平成3年に完成したものです。
 この平成の復元では、昭和9年に当時の陸軍第五師団経理部が作成した実測図をもとに発掘調査の成果や明治期から昭和期にかけての写真を総合的に検討して、消失後も現存した表御門の礎石(柱下の石)上に、昔どおりの工法によって往時の姿をよみがえらせています。

『広島城跡案内板』より

【戻る】

資料 ◆沿革
年代 出来事
1589年 天正十七年 毛利輝元 築城工事に着手
1591年 天正十九年 毛利輝元 入城
1600年 慶長五年 福島正則芸備四十九万石余を領し、翌年三月入城
1619年 元和五年 浅野長晟芸備四十ニ万石余を領し、八月入城
1871年 明治四年 廃藩置県により本丸内に広島県の役所を置く
1894年 明治二十七年 日清戦争時本丸内に大本営を置く
1905年 昭和二十年 原爆により天守閣・太鼓櫓・表門などすべて崩壊

私見 太鼓櫓  出張で広島に宿泊しましたので翌日の早朝に広島城にいってきました。大きな内堀でぐるりと取り囲まれた城は、二の丸の表御門、平櫓、太鼓櫓、多聞櫓や、石垣、五層の天守閣と十分すぎるに見ごたえがあります。私は近くのホテルから歩いてきたのですが、広島駅からだったら路面電車が便利です。120円と安いのに加えて、以外と便があります。
 建物には天守閣、多聞櫓と中に入ることができるのですが、残念ながら9時から17時までということで私は早朝だったため諦めて次を目指しました(笑)。ふつー、待ってるもんかな?あと30分ほどって。
 しかし原爆被爆後よくここまで見事に復元されたものです。ほんと頭が下がる思いでした。
【戻る】