城めぐドットコム HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

駿河丸城

駿河丸城跡


登城日:(2009.04.26)
所在地: 山県郡北広島町大朝
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
駿河丸城の縄張り(案内板より) 駿河丸城本丸の土塁  多くの中世山城は、地域、地域の人々、財産を侵略から守る砦としての位置づけが大きかったと考えられています。
 駿河丸城跡は、大朝盆地の北側、寒曳山南麓の標高四百四十メートル、比高約三十メートルの丘陵上に位置する丘城です。この丘城からは、大朝盆地の大部分を見渡せます。
 本城は、鎌倉時代末期(1313年)に、吉川経高が駿河国(今の静岡県)から移り、築城し、以後、小倉山城に本拠を移すまでの約70年間、本拠地として使ったと伝えられています。しかし、これらを裏付ける史料は乏しく、駿河丸城跡の名前については、別名間所城跡(まどころ)とも言われ、江戸時代の中期以前は、平家丸城跡と呼ばれていたとの史料があります。
 駿河丸城跡の遺構は、南に延びる二本の丘陵先端部を利用したものです。郭群は、堀切や土塁で区切って造成し、郭の周囲は斜面を削り急峻にしており、中世山城の初期の形態を呈していると言われています。
 城の築造にあたっては、地域の人々が、自分たちの暮らしを守るため、各自が技術を発揮し協力して、汗を流した姿が思い浮かばれます。

『駿河丸城跡案内板』より

【戻る】

資料
【地図を表示する】
 

私見
駿河丸城によくみられる堀切 駿河丸城本丸下の切岸  民家の裏手がすぐ本丸という非常に身近な立地条件のところに、駿河丸城が残されていました。案内板が設置された登城口そばに少しスペースがありましたので車をとめ、小雨の降る中、訪城してきました。城域となっている大部分が竹林ですがある程度手入れがされているおかげで散策しやすい状態です。城の南側から西へと移動していき、比高差が手頃なところで尾根筋にとりつきました。あとは全然苦労することなく本丸下までいけてしまいますので拍子抜けという感さえあるほどです。しかしその前に二の丸を見ることにします。二の丸は東西に延びた尾根を利用されており、南側からではわからなかった北側との落差が結構ある急な地形です。ただ少し藪っていますのであまりいい状態ではなかったです。
 ぐるっと東側に回ってから本丸を目指します。堀切状のものもありますが、自然地形をうまく利用したのかと悩むものもありますね。本丸は完全に周囲とは独立した格好で存在し、土塁も残っています。ここからだと見通しがよく利きそうですが、やはり城の規模が小さいせいかここが本拠地だったのか?と納得しがたいものがありますね。
 東の道を挟んで東隣にも城がありますので往時は連携していたのでしょう。
【戻る】