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手城山城

手城山城跡


登城日:(2007.08.15)
所在地: 福山市東手城町2丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
手城山城の登城道から頂上部をのぞむ かつては海中に浮かぶ小島だった手城山城  手城山城がいつ頃築城されたのかはっきりしていない。天文年間(1532〜1555)大内氏の<神辺城攻撃の際に、小早川氏の一族がこのあたりにしろを築いており、手城山城についても、当時沼隈半島で力を持っていた渡辺越中守兼が在陣し、小早川隆景と共に神辺城攻撃に際し海上から圧力をかけていたことが知られている。
 その後については明らかではないものの、『備後古城記』によれば天正年間(1573〜92)に浅野左近盛久・倉田孫次郎・藤井太郎左衛門などが在城していたとある。下って寛文年間(1661〜73)以降には福山藩水野氏により周辺の干拓が進められ、このあたりは城として機能しなくなってしまった。

『日本城郭体系13』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
南西側の郭跡脇にあるのは土塁?  手城山城は福山湾内の南東部に位置する小高い独立丘陵上にありました。現在は陸につながっていますが、かつては海中に浮かぶ小島だったんですね。
 城の構造は小高い独立丘陵上に四段になる郭が築かれ、丘陵の北西方面からの登城道が大手と見られています。登城道をあがった左手にあるのが当時の土塁なのか、神社を建てる際に平地にした時にできたものか判断に悩みます。 言われてみればなんとなく・・ま、そんな感じですね。神辺城攻めの際にここがどれだけ重要な拠点と成りえたかイメージしづらいですが、いずれ近隣の城を訪れていくようになれば又違った印象を持てるようになるのかもしれません。ここは干拓前の海岸線がどんな状態だったかが分かればもう少し楽しいんですが。
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