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英賀城跡
登城日:(1998.12.31)
所在地: 姫路市
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
公園隅には一応小さな碑がありました  英賀城は、室町時代の中期に赤松氏の一族によって初期の城がつくられた。しかし、嘉吉元年(1441)5月、城主赤松祐尚が没したので、恋浜(白浜町)城主の三木氏が移り、享徳3年(1454)には三木通武が大規模な城を築き、名も岩繋城と改めた。
 結局、秀吉の三木城攻めのときに三木城落城と運命を供にして陥落してしまった。
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資料
 

私見
英賀神社境内の奥に土塁跡があります。 播磨三大名城のひとつである英賀城はなかなか見つけにくいところにありました。城跡公園と名づけられた小さな公園の真ん中には天守台を模したものが残されているだけでした。遊んでいるのは2〜3人ほどの子供だけです。あんまり写真をとってると警察に通報されそうなほどでした。しかし、その公園の南側に英賀神社があり、そのおくに英賀城の土塁跡が残されていました。
 なんとか遺構を確認することはできましたが、三大名城とは名ばかりの寂しい扱われ様です。やはり平城はどうしてもそうなってしまうのでしょうね。
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