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藍岡山城跡
登城日:(2004.04.11)
所在地: 三田市藍本庄
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
西側を区切る堀切  藍岡山城は、嘉吉の乱(1441)後に白旗城が落城し赤松満裕の孫康則がこの地に落ち延びて築城したのがはじまりであるといわれている。康則は後に藍氏や、森鼻氏を名乗っており、今日でも森鼻氏が付近に住まわれている。
 天正七(1579)年、藍出雲守房清のときに荒木村重に攻められ落城した。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
本丸跡  JR福知山線「藍本」駅より300メートルくらい南西に位置する約20メートルほどの小高い山上に、藍岡山城跡があります。城跡の南西側の墓地があるあたりから適当に登ってみました。すぐに尾根上に到達してしまいますがここから右が本丸へと続きます。左側を散策しておりますと立派な堀切が残っているのがわかりました。
 こんどは向きを変え、本丸へと緩やかな傾斜を進みます。少し藪こぎですがまだ蜘蛛の巣ややぶ蚊がいないので全然平気です。竹やぶになってきたあたりで目の前に約2メートルほどの段差の削平地が現れました。そこが最高所にあたりますので本丸跡でしょうか。あがってみてわかりましたがここだけ視界が開けたようになっています。また、そこから周りを見下ろしてみると郭が取り巻いているのがわかります。
 手元の資料では犬走りが作られているとあるんですが、こんな山城で犬走りを識別するだけの眼力はまだないので(^^;、たぶんこれかなぁ・・と自信なく確認します。  こんな低い山城でも立派な縄張りがされているのは嬉しくもあり、なんだか妙でした。
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