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有岡城跡 登城日:(1998.08.30) 所在地: 伊丹市、JR福知山線、伊丹駅前 |
| 歴史 |
南北朝の時代から代々伊丹氏の城として発展してきた有岡城(伊丹城)は、永正17年(1520)にはその城下町までを取込むという惣構構造の兆しが見られ、その後、一向宗との合戦など数々の戦いの中で、次第に強化されていった。伊丹氏を破って入城した織田信長方の荒木村重は、信長の命により有岡城と改名し、摂津一国の軍事上の中心として大改修を行い、本城・寺町・城下町と町全体を掘と土塁で囲み、北・西・南に砦を配した惣構の城を完成させた。 天正6年(1578)、村重は信長に反旗を翻し、大軍に包囲されておよそ十ヶ月にわたる攻防の末に落城した。その後、池田之助が城主となるが、天正11年美濃国に転封され廃城となった。 江戸時代、旧有岡城下町を中心に酒造りの町として栄えた伊丹郷町は、伊丹村をはじめ15ヶ所領となった。 有岡城の本城(主郭部)は城掘や土塁が残っていたが明示に至って鉄道の開通により大半が取り壊された。 昭和50年より残された部分の発掘調査が行われ遺跡の保存策が講じられることになり、現在の史跡公園として整備された。
伊丹氏がこの場所に城を築いたのは、鎌倉時代末期頃のことである。はじめは居館として建てられたが、戦国時代を経て次第に堅固な構えになっていった。伊丹氏の城は、天正2年(1574)織田信長方の武将荒木村重の攻撃によって落城した。その吾村重は信長の命により有岡城と改名し、壮大な城を築いた。 有岡城は伊丹段丘の高低差を利用し、南北1、6キロメートル・東西800メートルに及ぶ惣構えが築かれ、要所には岸の砦・上臈塚砦・鵯塚砦が配置された。 天正8年、池田之助が城主となるが、同11年美濃の国に転封を命ぜられ、廃城となった。 明治26年、鉄道の開通によって、城跡の東側が削り取られたが、土塁や掘りなど今もよくその姿をとどめている。 昭和50年より発掘調査が実施され、土塁・石垣・堀・建物・池等の遺構を検出し、中世城郭から近世城郭への移行期の様相が明らかになった。 『有岡城跡案内板』より
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| 資料 |
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| 私見 |
駅前ということもあり、石垣の周りはすっかり自転車置き場と化していた。乱雑に置かれた自転車の為、いい写真をとることができなかった。しかし、城跡は発掘調査のおかげか空堀ではあるが、しっかり堀の跡や井戸跡などもある。鉄道の開通の為に削り取られた部分は非常に残念だったが、やはり平城の悲しい性なのか。
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