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聖山城跡
登城日:(2003.11.23)
所在地: 宍粟郡山崎町須賀沢字出石
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
神社境内奥にある城址碑  この地に初めて城が築かれたとされるのは「宍粟郡古城誌」によれば明応二年(1493)とある。諸説あるようだが、明らかなのは天正八年(1580)4月、長水城攻略を目指す羽柴秀吉はまずこの聖山城を攻略し、本陣を構えたということである。その後、揖保川を挟んだ川向こうの篠の丸城を攻略、そして長水城を落城させたのであった。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
多少まだ薮が残りますが削平地は確認できます。  今日は八丈岩山氏、naka氏と共に西播磨を攻めています。主目的は長水城でしたので、羽柴秀吉を倣ってまずは聖山城(別名を堅木山城、篳篥山城)を攻略することにしました。位置は河東農協奥にある成南篳神社を目指すことになります。神社境内からは200メートルと書かれた標識があり、境内奥の石段前には城址碑が置かれていました。
 比較的歩きやすい傾斜面をあがること約10分、愛宕神社前に出ました。この聖山城は比高にして100メートルもありませんから長水城を目指す前の軽いウォーミングアップといったところです。愛宕神社の社前からの眺望は山崎町を一望でき、ここから篠の丸城がまさに正面に見えます。
土塁跡です。  社の左奥にはさらに上に登る道がありますがややさきほどよりは歩きにくくなっています。まだ多少薮が残るものの十分削平地であることは確認できます。そしてさらにその奥にはもっと大きな削平地と、真新しい城址碑が建てられていました。 その周りを土塁が囲みを作っており、またその下には一段低く帯曲輪状の削平地がつくられています。概ね確認はできるものの、もう少し草がなくなったほうがいいと思いますが、夏場はおそらくとても見れるもんじゃないでしょうね。
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