HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

池谷城跡
登城日:(2004.02.15)
所在地: 神戸市西区櫨谷町池谷
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
腰曲輪がめぐらされています。  池谷城の築城時期、築城者は不明である。が、鎌倉時代にはこの地に赤松氏一族の衣笠氏が領主として存在しており、この城も衣笠氏の城の一つと考えられている。
 天正七年(1579)羽柴秀吉の三木攻めの際に衣笠氏の本城である端谷城が落とされ、この時に池谷城も落城したようである。その後は秀吉方に対城の一つとして利用されていたようで、『衣笠氏系図範景』によれば「秀吉池田(谷)村に番所を構へ明石与四郎之を護る」とある。(「端谷城」神戸新聞事業社刊)

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

【戻る】

資料
 

私見
竪堀もよく残っています。 堀跡もあります。  池谷城へは櫨谷小学校の東側の路地を南へ入ると目の前に竹林がありますのですぐわかると思います。標高105メートル、比高32メートルとあったのですが、北側からの落差はさほど感じられませんので間違いかと思うくらいです。
 さて、この城へはいくつも侵入口はあるんですが、北東、北、西、南西などに登城道がありました。そのうち虎口とされているのは北と西の2箇所です。まずは北の虎口から竹薮に入ります。すぐに驚かされるのは起伏が激しい地形で、どこまでが遺構なのかが一見しただけではわかりませんでした。まっすぐ進むと腰曲輪が南北に伸びており、そのなかに主郭がありました。主郭のまわりはほとんど腰郭がめぐらせてあり、南側だけががけとなっていて、開けています。が、その下には手書き竪堀が数条見られます。予想以上の状態のすばらしさに思わず一人竪堀に滑り込んでしまいました(笑)。
 この遺構を文章だけで表現するのはちょっと難しいので是非とも行って見ていただきたいですね。端谷城の前に衣笠氏が本城としていただけあってなかなか立派なもんです。付近にはまだまだ支城もありますし、しばらくこのあたりの支城群を踏破してみたくなってきました。
【戻る】