HOMEへ Check   Twitterでつぶやく    

神吉城跡
登城日:(1999.01.16)
所在地: 加古川市東神吉町神吉、常楽寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
神吉城本丸跡の常楽寺 城主は神吉民部大輔頼定という人で別所長治の一族として神吉の荘一万余石の領主であったが、織田信長の三木城攻めに際し、その支城として千余騎の軍兵によって善戦したが、総大将信長の嫡子で秋田城主介信忠のひきいる三万余騎の織田兵に攻められて、天正六年十六日、遂に落城した。
「播磨鑑」には『東西五七間、南北四三間、神吉荘神吉村一本二云、右城内ニ法性山常楽寺と云浄土宗ノ寺アリ、慶安元年戊子ニ御朱印ヲ頂戴ス。右城ハ常楽寺ノ境内ニ成、二ノ丸田地ト成』と書かれている。

『神吉城跡案内』より

【戻る】

資料
 

私見
神吉頼定の墓石。  秀吉の播磨攻めの際、最後まで抵抗を続けた播州武者たち。その中でもこの神吉城城主、神吉頼定は壮絶に戦い、そして散っていきました。
そんな神吉城跡地には細々と古い住宅が立ち並び、車での移動が難しいほど隣接した住宅群になっています。200メートルほど離れた県道に車を止め、常楽寺まで歩いていきましたが、その途中で神吉さんって方が2家ほどありました。今でも立派に神吉の血筋は残っているのでしょうか。
神吉城は平城ではありましたが、信長をてこずらせるほどの堅城で、構えも総構えと、本格的なものだったようです。神吉頼定は名前こそ知られていませんが、三木合戦においては秀吉を一旦敗退せしめたほどの剛の者であり、そうとう優れた武将だったのでしょうね。戦国シュミレーションゲームでは一切登場してこないのがまったく残念ではあります。
【戻る】