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越水城跡

越水城跡


登城日:(00.10.15→13.09.12)
所在地: 西宮市桜谷町、大社小学校
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
「城ヶ堀町」はお城好きには堪りませんね越水城城址碑  目の前の小高い丘は観応二年(1351)足利尊氏と弟直義が戦った小清水の陣所跡で、瓦林正頼は永正十三年(1516)ここに越水城を築城しました。いまの町名では城山・桜谷・満池谷・清水の4町にまたがり、その広さは南北約200m・東西約100mで小清水城あるいは腰水城といわれていました。ここは西国街道の要衝で、城にかかせぬ水にも恵まれた築城の適地でした。
 この城は、一説には天守閣もあり外城を備え、人々を住まわせた西宮には、城下町のような雰囲気があり、「おおよそ目を驚かす風情」で、摂津では他に例がなかったようです。
 応仁の乱に始まる戦国時代初期、城主正頼は細川氏の内紛に高国方につき、四国より京にのぼる澄元を迎えうって敗れ、その上澄元に内通したとして切腹、死後澄元の家臣三好氏が入城しました。天文二年(1533)には瓦林と一向一揆が三好を攻めて城を奪い返し、瓦林の一族が城を守りますが、さらに攻防が繰り返されて、ついに畿内の覇者三好長慶の居城となり、彼は家臣松永久秀を京に止めて越水城で指揮をとりました。
 永禄九年(1566)時の城主四国阿波の篠原長房は、瓦林三河守に攻められ、一旦開城しますが4日後に復活、9月には足利義親(のちの足利幕府14代将軍義栄)が入城しましたが、十一年に織田信長の入洛により、越水城の戦略的価値が消えました。
 それから三百三十年を経た明治二十九年(1896)12月、この城跡に大社尋常小学校の新校舎が建ち、中村地区から移転した3学級210名の児童が勉強を始めました。深い緑の木立につつまれた新しい学校は、大阪湾をへだてて摂津・河内・和泉や紀伊の山々を望む素晴らしい環境に恵まれた学校でした。
 しかし、時代と共に発展する大社村(昭和八年4月西宮市に合併)の小学校としては狭くなり、大正七年(1918)11月現在地に移りました。最早越水城は遠い思い出ですが、戦国の世以来こんこんと清水が湧き、城や地名のもととなった3ヶ所の泉こそ越水城を語り継ぐ証人として大切に保護したいものです。

越水城跡案内板より

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資料
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私見
 前回訪問した記憶がないくらいに久々の越水城訪問です。今回はJR西宮駅から徒歩で散策しながら、往時の雰囲気を手繰り寄せたいと思います。とは言ってもすっかり市街地として開発されてしまっている周辺一帯は、難易度がかなり高いですね。
 城址碑の設置された大社小学校を目指していますと、「城ヶ堀町」を通過することになりました。城好きにはスルーできない名前ですね。きっと東西に走る道路がかつては堀跡だったり・・と安易な発想ができますが、いくら「外城」や城下町を持つ大規模な城だったとされる越水城でもここまでのものかはねぇ。ただ、”城”がついてることが嬉しい、という『城好きあるある』ではありますね。
 そして国道171号線を北上しつつ城ヶ堀公園を右手に見ながら「越水」へ。少しずつ標高が高くなってきているのですね。そこから大社小学校へはさらに坂道をあがっていくことになりました。住宅が密集していて道路は狭いですが、意外と車の往来は多いです。一向に登城している気分にはなれませんが、大社小学校前まできてしまいました。相変わらず立派な城址碑と案内板です。さらに奥にある城山地区にも踏み込んでみましたが、今は完全に住宅地となっているだけですね。ただ、南へ広がる視界はなかなかのものです。
西井(にしんじょ) 東井(ひがしんじょ) 中井(なかんじょ)  そして、今回はもう一つの目的地である井戸跡を散策することにします。案内板にもあるように『戦国の世以来こんこんと清水が湧き、城や地名のもととなった3ヶ所の泉こそ越水城を語り継ぐ証人』は、越水城散策には忘れてはいけない重要な遺構かもしれません。大社小学校の碑から東に向けて坂道を下り、西の井戸跡(西井・にしんじょ)を探します。私が持つ井戸のイメージとはおよそかけ離れた現状でしたが、大切に守られているかのように建物が周りにつくられ、施錠されて普段は誰も入れない状態になっています。「越水(小清水)の井戸」と看板がつけられてなかったらおそらく気づかずに通り過ぎてしまうかもしれません。現在も水を湛えるこの井戸は、震災にはみんなが並んで洗濯などに使ったということです。(「新西宮歴史散歩」西宮市郷土資料館刊)
 続いて中井(なかんじょ)です。ここはマンション建設の際に埋められてしまっていますので跡地を覗き込むだけ。最後は東井(ひがしんじょ)ですが、ここはかなり難易度が高いですね。くねくねとした細い路地を通っていくと、ウサギか鶏を飼っているのかと思うようなネットが張られた小屋で覆われていました。水が常に湧き出していますが、現状はあまり使われていないのか澱んでしまってますね。住宅地の中にひっそりと残る井戸跡は、現在も住民に愛されて保存されていることがよくわかりました。
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