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河内城跡
登城日:(2005.02.20)
所在地: 加西市河内町字城山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
東郭からみた堀切二つ(わかり難い)  河内城の歴史には諸説ある。別所氏の城であるという見方としては永暦元年(1160)に別所刑部大輔頼清が築城したとある。その後11代の別所小ニ郎則治まで続き、文明三年(1471)に三木に新城を築き移ったとされている。
 が、一方では在田氏の本拠として四代当主在田則盛により築かれたとされている。享禄ニ、三年(1529、30)に浦上氏に攻撃され二度の落城し、天文年間末期には野間城に本拠を移した。その後も河内城は、在田荘の守る支城の一つとして別所に併合される永禄九年(1566)ごろまで改修されてきたと考えられている。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊、他参照

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資料
 

私見
中央郭と東郭との間にある堀切(わかり難い)  河内城は別名を佐谷城、別所城ともいい標高281メートル(比高190メートル)の独立山上にありました。場所は満久城から北北西に約1キロのところにあります。私は東側から取り付いたのですが無駄に一つ手前の山を登ってしまい、かなりの体力を消耗してしまいました(笑)。城跡へは東側に1つ西側に2つのルートがあるようですが、いずれにせよ昨年の台風の影響により倒木がひどく見た目以上に大変です。長くなるので「痛っ」「うっ!」という箇所は割愛して、東郭にとりついてからの話にします(笑)
西側郭(わかり難い)  東側は小さな削平地がいくつかぱっと見ただけでも四段ほどありました。さてこの河内城の縄張りですが、東西に伸びる尾根上に広がっており、大きくは東郭、中央郭、西郭の3つに分かれます。それぞれをはっきりとわかる堀切が横断しており、郭の南面と北面にそれぞれ帯曲輪のような通路がつくられています。東側は小さな削平地が数段あり、堀切を越えた先の中央郭は狭くて平坦なものとなっています。そしてまた掘切を越えた先には西郭があり、ここが一番大きくとられています。西側先端にも堀切が綺麗に残っていました。簡単に書きましたが倒木や藪が結構ありますので大変です。ですが山城を楽しむことは十分にできますので登ってみてください。
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