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香山構跡
登城日:(2004.05.30)
所在地: 揖保郡新宮町香山坪尻、大歳神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
北郭跡にある石垣  香山城は香山村西方の山麓(通称:備後屋敷)に位置する香山氏の居城です。香山氏は系図によりますと鎌倉時代からの香山荘地頭職の家柄で、建武年間頃(1334〜1338)に秀清が香山城を築城したと伝えられて嘉吉の乱(1441)で城は一度落城します。その後文明三年(1471)に秀氏が城を再興しますが、羽柴秀吉が宇野氏(山崎・長水城)を攻めたときに城主秀明は宇野氏に属し、香山城は秀吉軍の黒田官兵衛に攻められ、天正八年(1580)4月27日に落城します。なお、司馬遼太郎の「播磨灘物語」には官兵衛初手柄の城として香山城が登場します。
かなり荒れてしまってます。  香山城の遺構は大歳神社を挟んで、北部(南北170m東西250m)南郭(南北220m、東西120m)に分かれており、いずれも外郭を石塁が取り巻き、縦横に石塁と堀が走り、その中を雛段造成して多数の郭群を複雑に配置しています。郭群には城門・井戸・犬走り・泉池等の諸施設があり、備前焼の甕や茶臼等も見つかっています。香山城は近隣には例のない総石垣で築かれた特異な縄張りをもつ大規模な中世山城です。

『香山城跡案内板』より

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資料
 

私見
大歳神社  香山構跡は他のWebサイトでは香山城と紹介されています。私もそう呼んでもいいのですが、山上にあるとされる山城と区別する意味であえて香山構跡とします。
 さて、ここは備後屋敷と呼ばれていることから山麓にある居館といった性格のものだったのでしょうか。大歳神社の両脇に展開する郭群はぐるりと囲む石垣がまず目に飛びこんできます。かなり荒れ放題な状態で、苔むした感じが実に歴史を感じさせるのですがいつのころのものでしょうね。「後世のものだ」と言う人もいますが・・・
 辺りはじめっとした印象のブッシュです。まむしやヒルがいるんじゃないかとびくびくしながら散策していました。ここは夏場は遠慮しといたほうがよさそうです。
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