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三草山城跡
登城日:(2003.08.16)
所在地: 加東郡社町山口・馬瀬・畑
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
時折急傾斜があります。 細い登城道が尾根伝いに続いています。  三草山は播磨平野の北東隅にあり、山麓をはしる街道は、古くから、播磨と丹波を結び京の都への要路であった。
 寿永三年二月、平家追討のため、源九郎義経の率いる一万余騎は、丹波小野原の里に布陣し、夜半、民家や山野に火を放ち、三草三里の山中を駆け抜け、一挙に平家の陣に突入した。三草山の西の山口に陣取る小松三位中将資盛、左中将有盛など平一門七千余騎は、不意の夜討ちに弓矢を取るいとまもなく、もろくも、屋島をさして敗走していった。これが世にいう「三草合戦」と、「平家物語」などの伝えるところである。その後、建武三年、赤松出羽守則定がこの地に山城を築いた。嘉吉元年の騒乱のとき、三草口に赤松方の将宇野能登守国祐が配置され、また、「嘉吉の乱」の後にも、赤松満政、則尚が三草山城で山名方の軍勢と一戦を交えて敗れたことなど、三草山にまつわる歴戦の史である。
 新社町発足二十五周年記念事業として、清水・東条湖県立自然公園内のこの地に、「三草山遊歩道」を新設し、住民こぞって郷土の歴史的遺産を保存し、学園都市社町のシンボルとすべく、ここに碑を建立するものである。

『三草山城跡案内板』より

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資料
 

私見
山頂にある城址碑 3つのコースがある三草山  夏場ではあったのですが比較的涼しかったので思いつきで三草山城にやってきました。国道372号線を社町から篠山方面に走っていますとすぐに右手に三草山への登山口を示す標識がでてきます。それを右折し、そのまましばらくいくと登山者向けの駐車場が設置されています。そこが登城口(というかむしろ登山口かな)になります。
 三草山へは3つの登城コースがあるのがそこの案内板でわかりました。が、ここはこのまま三草(山口)コースで登ることにしました。全長2.4キロにも及ぶ山歩きです。ちなみに残りの2つ畑コースが1.3キロ、鹿野コースが3キロとなっています。
   さて、いざ登城ってことで軽装で開始したのですが、この三草山はさすがに地元の方のご努力もあってか、よく整備された登山道がきれいにつづいています。夏場だというのに人が一人歩ける程度の幅で下土が見える道が続いているのは安心して歩けて助かります。かといっても途中にはロープやチェーンの補助も用意されており、様々な様相を見せてくれるといった趣のある山歩きです。
 尾根伝いに山を4つほど越えていくと小一時間ほどでようやく頂上に到着した時には汗だくになっていました。標高423.9メートルの高さは周囲を一望できる高さで疲れもふっとびますね。残念ながら城跡として見れば遺構もよくわからないのですが、山歩きとして考えればいい運動にもなるしいいんじゃないでしょうかねぇ。(って目的変わってるし)
 と、これだけだとなんなんで、山城の遺構としては山頂部の削平地を主郭として、そこから南へと尾根伝いに10箇所ほどの削平地が続いています。遺構を確認するんなら別コースから登ったほうがいいでしょうね。
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