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水堂陣屋跡
登城日:(2001.03.03)
所在地: 尼崎市水堂1丁目23
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
水堂陣屋跡  この屋敷は、尼崎藩主青山幸成(五万四千石)が寛永二十年(1643)ごろニ男の丹後守幸通に分知させた摂津地域8ヶ所の領地三千石を、幸道が統治するために設けた地方代官の役所跡です。この領地には水堂を始め、潮江・次屋・浜の尼崎市域のほか、西宮市域の下大市・樋口新田・久右衛新田・中村など武庫川沿いの村の小部分が含まれています。この地の地方代官は青田氏が代々勤めてきました。
 屋敷は、明治・大正年間と昭和四十一年に鉄道建設と道路整備によって、当初南を正面にしていた建物を90度回転し、西を正面にし全体を北側にずらす工事がされています。間取りなどは全て昔のままではありませんが、門構えや敷台の形は代官所の時代の面影を残している貴重なものです。

『水堂屋敷跡案内板』より

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資料
 

私見
 JR立花駅の北側を降りてそのまま線路沿いに神戸方面に7〜8分ほど歩いていったところに水堂代官屋敷跡である屋敷門が残されています。当地を治める青山氏は戸田氏にかわって尼崎に入封してきて以来、分割したり石高を微妙に変動したりしてそのまま明治維新まで続いた、歴史がこんな宅地の中にあったんですね。
 しかし・・この陣屋跡(屋敷跡)、90度回転され、全体を北側にずらされ、間取りもかえられ・・えらいいじられてますが、よくぞまぁ残してくれました、と感謝しないといけませんよね(笑)。
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