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村岡藩陣屋

村岡陣屋跡


登城日:(2000.04.11→2013.08.16)
所在地: 美方郡村岡町村岡、御殿山公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
村岡藩陣屋跡である御殿山公園  御殿山公園由来書
因幡国守護であった山名豊国が慶長六年(1601)に七美五郷六千七百石を徳川家康から拝領して、村岡山名の初代となりましたが、初代と二代は国入りせず、陣屋を福岡に置いて、家従三上、執事田結庄等に治めさせました。
三代矩豊は陣屋を黒野村(現まほろば)に移して、村岡と改めて、寛永十九年(1642)に初めて国入りを行いました。
八代義方が文化三年(1806)に陣屋を尾白山(現御殿山公園)に築いて代々この場所を本拠として七美五郷を治めていました。
十一代義済は明治元年(1868)に一万一千石と認められて大名に列しましたが、すぐ藩籍奉還して藩知事になりました。
十二代義路の明治四年(1871)十一月村岡藩は、豊岡県と合併して、明治七年(1874)には陣屋は取り壊されて跡地の一部は御殿山公園または桜山と呼ばれて、町民憩いの場所となっておりました。
昭和三十三年に県立村岡高等学校(当時は八鷹高校村岡分校)が公園内に建築されましたが、昭和五十七年に新校舎が東上に建築されて移ったため、村岡町が陣屋や高校跡地を御殿山公園として整備したものです。

桜山御廟 村岡陣屋は、山名持豊(宗全)公の後裔にあたる山名豊国(禅高)公が、徳川家康公から関ヶ原の戦功により、慶長六年に七美郡六千七百石を拝領、執事等を派遣し兎束村(現福岡)下中山に領内仕置き機関をおいて、村岡山名を誕生させたことに由来する。
慶長十九年に三代矩豊公が当地に初入部、黒野村を村岡と改めて、陣屋を現在の資料館「まほろば」付近に設け、城下の町割りを行い、村岡を本拠とし領地を治めて以来、陣屋町、宿場町として江戸時代に栄えた。
文化三年には、八代義方公がこの地尾白山の中腹に陣屋政庁を移し、大手門、中門、長屋、鎮守社、煙硝櫓、練兵場等を設けて山名氏の家格に相応した体裁を整えた。
慶長四年十一代義済公の時、一万一千石となって立藩した。しかし、明治四年には廃藩村岡県となり、同六年の廃城令によって翌年陣屋や石垣等をすべて取り除かれた。
幕藩時代二百七十年の間、国替えもなく連綿とつづいた村岡山名の事績を偲んで陣屋の沿革を刻み此処に建立する。
平成六年九月二十八日

 御殿山 桜山御廟所
 村岡藩公山名氏御廟のうちの第三廟所で明治初年に設けられました。
 中央に第十一代因幡守義済公、右に第十二代男爵義路公、左に第十三代男爵義鶴公を奉安します。
 初代禅高公奉安
   京都東林院及び村岡町荻山 一二峠御廟
 二代豊政公奉安
   東京青山山名家墓所
 三代矩豊公以降奉安
   村岡壺渓御廟(北方百メートルの松林中)
 歴代公史料展覧
   村岡 法雲寺「山名蔵」(南方五百メートル)
 高鳴る松風のなかでしばらく懐旧の思いを深めましょう。  
 奥方部屋
奥方部屋  この建物は、文久三年(1863)の武家諸法度「妻子の帰国は勝手とする」のお触れにより、江戸住まいの十一代義済公の奥方が帰国するため、陣屋に増築されたものです。
 明治七年(1874)に陣屋が取壊される際、蚕糸問屋の池尾家が奥方部屋を買取り、移築して離れ部屋として使用していたものを、平成二年(1990)に池尾利治氏より寄贈を受けて、村岡町が陣屋跡に復元したものです。
 建物は当時のまま復元してありますが、元々陣屋の一部として建てられていたため独立した玄関がなく、復元にあたり玄関部分は新しく造りました。

村岡陣屋跡案内板より

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資料 【地図を表示する】
 

私見
奥方部屋へと続く石段 高台に建っていた村岡藩陣屋  村岡藩陣屋跡は、その名で分かる「御殿山公園」を目指せば辿り着くことができます。9号線脇にある坂道をあがっていくとそれっぽく作られた公園に出ました。かなり広大な敷地になっていますし、駐車場も大きいですねぇ。以前訪れた時はこの公園だけを見ていましたが、今回は周辺を散策してみます。
 公園を西へと下っていきますと、村岡藩藩主の廟所「桜山廟所」があります。何か資料がないかなと近づいた村岡藩資料館は残念ながら閉まっていましたが、普段は開いてるのかな・?
 そしてさらに一段西へと下りますと、目玉の遺構と言える段々となった地形が広がります。ここら一帯に屋敷が建っていたのでしょうか。ところどころに石垣があるのがさらにいい雰囲気を感じることができますね。そして奥方屋敷がひときわ目立って建っていました。希望者には内部の見学もできるそうですので、古い建築物に興味がある方は楽しめるのではないでしょうか。
 南、西、北と川に守られ、段差がつくられた高地にあった村岡藩陣屋は、今なお城郭としての風格を残していました。なかなか訪れにくい場所にありますが、是非一度訪れてみてください。
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