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村岡陣屋跡
登城日:(2000.04.11)
所在地: 美方郡村岡町村岡、御殿山公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
入り口となっている陣屋門風ゲート 因幡国守護であった山名豊国が慶長六年(1601)に七美五郷六千七百石を徳川家康から拝領して、村岡山名の初代となりましたが、初代と二代は国入りせず、陣屋を福岡に置いて、家従三上、執事田結庄等に治めさせました。
三代矩豊は陣屋を黒野村(現まほろば)に移して、村岡と改めて、寛永十九年(1642)に初めて国入りを行いました。
八代義方が文化三年(1806)に陣屋を尾白山(現御殿山公園)に築いて代々この場所を本拠として七美五郷を治めていました。
十一代義済は明治元年(1868)に一万一千石と認められて大名に列しましたが、すぐ藩籍奉還して藩知事になりました。
十二代義路の明治四年(1871)十一月村岡藩は、豊岡県と合併して、明治七年(1874)には陣屋は取り壊されて跡地の一部は御殿山公園または桜山と呼ばれて、町民憩いの場所となっておりました。
昭和三十三年に県立村岡高等学校(当時は八鷹高校村岡分校)が公園内に建築されましたが、昭和五十七年に新校舎が東上に建築されて移ったため、村岡町が陣屋や高校跡地を御殿山公園として整備したものです。
回廊と書いてありますが、実はゲートボール場。 村岡陣屋は、山名持豊(宗全)公の後裔にあたる山名豊国(禅高)公が、徳川家康公から関ヶ原の戦功により、慶長六年に七美郡六千七百石を拝領、執事等を派遣し兎束村(現福岡)下中山に領内仕置き機関をおいて、村岡山名を誕生させたことに由来する。
慶長十九年に三代矩豊公が当地に初入部、黒野村を村岡と改めて、陣屋を現在の資料館「まほろば」付近に設け、城下の町割りを行い、村岡を本拠とし領地を治めて以来、陣屋町、宿場町として江戸時代に栄えた。
文化三年には、八代義方公がこの地尾白山の中腹に陣屋政庁を移し、大手門、中門、長屋、鎮守社、煙硝櫓、練兵場等を設けて山名氏の家格に相応した体裁を整えた。
慶長四年十一代義済公の時、一万一千石となって立藩した。しかし、明治四年には廃藩村岡県となり、同六年の廃城令によって翌年陣屋や石垣等をすべて取り除かれた。
幕藩時代二百七十年の間、国替えもなく連綿とつづいた村岡山名の事績を偲んで陣屋の沿革を刻み此処に建立する。
平成六年九月二十八日

村岡陣屋跡案内板より

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資料
 

私見
遺構を求めちゃ駄目ですね。 鳥取方面へ9号線を走らせて村岡町に入ると、役場の1つ手前の交差点の右脇に御殿山公園へと続く坂道があります。公園としか書いてありませんので陣屋跡とは分かり難いです。そしてそこをあがっていくと下からでは想像できないほどの広さの公園だとわかりました。
しかし、遺構と呼べるものが全然ないんですね。あくまで町民憩いの場ということなんですね。
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