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大木城跡
登城日:(2001.05.13)
所在地: 西脇市野中町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
詳細は不明だが立派な山城の形を成す大木城跡  大木城(野中城)跡  大木城跡は南北に伸びる山塊の南端の平野山山頂(標高164m、比高84m)に築かれています。現在、神社の境内となっている主郭は南北31m、東西17mあり、その周囲を幅2〜4mの通路兼帯曲輪がまわっています。城跡の北端には浅い堀切を設けて尾根づたいの防御をはかっています。城があった当時の大手道は東山麓のかつて平野神社があったあたりから登っていたようです。大木城が作られた詳しい年代はわかりませんが、城の構造からは戦国時代の築造と考えられています。このころの山城は合戦のときにこもるための城で普段は見張り番がいるだけでした。そのため建物も粗末な小屋程度しかなかったようです。  大木城の城主は明らかではありませんが、黒田荘の黒田重勝の弟である光氏が野中六郎となのって野中城に居住したという伝承があります。当時この付近は富田荘の野中郷と呼ばれていたことから、この大木城が伝承の野中城であるとも考えられます。

『大木城跡案内板』より

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資料
 

私見
本丸跡にある城址碑  兵庫県の中部はあまりきていなかったのでぶらりと走っていますと、地図に大木城という表記があったのでよってきました。歴史も城主もわからないというわりには遺構がよくのこっています。
 麓のゲートボール場横の空き地に車を停めると、案内板のあるところから登ることができるようになっています。そこからはややきつい傾斜が続きますが、比高84m程度でねをあげちゃいられません。といってもちょっときつかったですが・・。
 本丸跡のまわりは一段低い平地になっており、どうやらこれが帯曲輪あとのようです。本丸跡には神社がたてられていますが、社がたつあたり、本丸の奥部にあたるところはさらに一段たかくなっています。
 また、帯曲輪の奥には空掘跡も見られるようで、立派な山城ですね。道中、2度もへびに遭遇したのはびっくりでしたが、そろそろそんな季節ですね。薮蚊が飛びまわる季節の前にもう少し山城を攻めておくことにしよっと。
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