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篠山城跡 登城日:(2000.04.11→2007.06.23) 所在地: 篠山市北新町 |
| 歴史 |
篠山城は、慶長14年(1609)天下普請の城として、征夷大将軍となった徳川家康が、近畿・中国・四国の十五ヶ国、二十大名に夫役を命じた。普請奉行には池田輝政、縄張り奉行には藤堂高虎を任命し、京都から山陰、山陽へ通じる要衝の地を守る為、城主には家康の庶子である、松平康重が置かれた。篠山城は比高15メートルの小山を利用した平山城で、縄張り形式は方形で、天守台・殿守丸・二の丸が梯郭式で、それを囲む三の丸は輪郭式である。三の丸の濠は東西南北約400メートル、幅が約40メートル。三の丸の大手・東・南の三門は土橋で外濠を渡り、そこに角馬出しがついていた。とくに南馬出しは土塁で現在もよく残っている。 ◆ 篠山城本丸跡 ここは、篠山城の最期の砦となる本丸跡です。築城当初は現在の二の丸が本丸、現在の本丸は南東の隅に、天守台が造られたことから、特に殿守丸と呼ばれていました。 天守台の大きさは東西約十九メートル、南北約二十メートル、約三百八十uの広さがあります。天守台石垣は本丸内側からの高さ、約四メートル、外側の南と東側犬走りからの高さ約十七メートルで、篠山城で最も高い石垣です。 天守閣は築城の時に建築が中止され、代わって天守台南東隅に二間四方(四メートル四方)の一重の隅櫓が建てられました。 本丸の周囲は天守台と南西隅・北西隅・北東隅の三ヶ所に二重の隅櫓を建て、間を多聞櫓でつないで内部を囲んでいました。二の丸には大書院をはじめとする御殿が建てられたのに対して、本丸には御殿等の建物はなかったようです。 本丸内の北側中央にある一の井戸は岩盤を掘り抜いたもので、深さ約十六メートル(内水深八メートル)で、掘るのに二年もかかったと伝えられています。
◆ 大書院跡について篠山城大書院は二の丸跡に所在した城主居館の中で、とくに歴代城主による公式行事に使用された場所で、正規の書院造の建物となっていました。 この建物は慶長十四年(1609)の徳川幕府の天下普請による篠山城築城時に、京都二条城の御殿を参考にして建てられたと伝えられ、大きさは東西二十八メートル、南北二十六メートルの篠山城最大の規模となっていました。内部には上段の間、孔雀の間などの多くの部屋があり、障壁画で飾られていたと考えられます。 廃城後もこれだけ残されましたが、昭和十九年の失火により失われました。その後、焼失から五十六年たった平成十二年三月大書院の威容が大書院跡地に蘇りました。
『篠山城跡案内板』より
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| 資料 |
◆年表:城主一覧
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| 私見 |
訪れること3度目です。ようやく本丸跡まで入ることができました。それに天気にも恵まれてます。これもはじめてです。写真撮るのも気持ちいいですね。しかも桜のシーズンだから絶好の機会です。ただおばさんらが弁当を広げて景観を損ねているところもあり、ちょっと残念でしたが・・・大書院も奇麗でいいんですが、奇麗すぎてまわりの石垣と全然雰囲気が違ってます。ま、当たり前ですが、なんとかならないもんなんでしょうかねぇ・・ 大書院もすっかり落ち着いた感があります。今回は日本100名城のスタンプラリーのついでに篠山城に寄ってみました。駐車場に車を置いて(有料化されてるんですね、300円)、そこから折りたたみ自転車を下ろします。篠山城は馬出しや外堀の姿を拝みながらゆっくりと外周を廻るのも醍醐味の1つだと思います。こういう時は自転車は最適ですね。 南馬出しの土塁を満喫するとそのままそこから内堀へと続くルートをとります。高度差が大きいので三の丸内に入るまでに城内が見えないのが怖いなと感じました。この段差の工夫(?)も自転車でゆっくり廻れるからなんですねぇ。
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