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庄山城跡
登城日:(2004.01.31)
所在地: 姫路市飾東町庄
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
庄山城縄張図です。 西側からとりつきました。  姫路市を代表する中世山城の遺構で、十四世紀に赤松貞範によってはじめて築城されたという。城跡は谷外小学校の北の城山(標高194メートル)の山頂から山腹一帯にかけて構築されている。縄張りは、東西五百メートルにわたって連続する稜線上に置かれた主郭部を中心に左右両翼に張り出した尾根と南に伸びる支脈を利用して諸郭を配している。山頂から山腹にかけて石垣、土塁、堀切二本、井戸ニ基、城戸跡などが残っている。

『庄山城跡案内板』より

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資料
 

私見
主郭がある東側尾根  姫路市内では最大級の山城、庄山城跡へやってきました。城跡がある城山は、大きくは三つの尾根から形成された東西に広がる独立した山になっています。東側の尾根には本丸、二の丸、三の丸があり、大手道を挟んだ西の尾根には本丸から五の丸までの郭が段々に形成されており、連郭式山城の形式を色濃く残していました。本当はこの大手道から登るべきだったのですが(お奨め)、山の一番西側にある大歳神社の裏手から登りはじめることにしました。
 道はついていますので比較的楽に登ることはできます。約15分くらいでしょうか、次第に登り道は険しさを増し、岩肌が時折顔を出しています。やがて一つのピークを迎えました。一番西の尾根上に出ましたから、おそらくここが庄山城の出丸があったところなのでしょう。眼下の景色も遥か瀬戸内まで見渡せ、実に気分爽快です。中央の尾根が美しい斜面としてくっきりとその稜線を見ることができました。
主郭がある削平地  やがて、その中央の尾根へ到達しました。傾斜が南へと下っていっています。実はここはある程度先までいったのですが、調査不足でした。この先には石垣跡や井戸跡があったようなのです。
 続いて東側の尾根へ。ここは今まで以上に削平地の段差がくっきりと残り、連郭であることがよくわかります。しかし、冬場だというのにひたすら薮こぎをしないといけないというのは辟易です。始終体のどこかをちくちく刺されながら遺構を探し回っていました。が、ここはあまり大したものはなく、東側へと山を抜けていきました。城域を出た、一番のピークの地点で休憩をしましたがここは北側を見渡せる一番のビュースポットでした。麓小学生製作の岩とコンクリートのオブジェを横目に巨石がごろごろしている登山道を東へと足早に降りていきました。
 結局、達成感以上に疲労を感じた山城攻めになりましたが、西から東へと縦走したのは我ながら感動でした。やはりこういった大規模な山城には一人で来ず、誰かと一緒のほうが行動力が増すものですね。同行してくださった八丈岩山さん、nakaさんに感謝、です。
 最後に、この城跡の案内板が東側麓の中学校入口の下にあります。これを見てから登れば今回のような苦労はなかったのかもしれませんが、まぁ山歩きという見方をすれば十分に楽しめたかなぁ・・ってことで。
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