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炬口城跡
登城日:(2004.07.19)
所在地: 洲本市炬口
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
炬口城遠景  炬口城は、永正二年(1505)に安宅監物秀興が築城したと言われている。その後駿河守吉安が継ぎ、そしてその弟といわれる次郎三郎秀益が城主となる。
 この当時は淡路守護職細川氏を滅ぼした三好氏が淡路を制圧しており、安宅氏もその支配下となった。やがて三好元長が四国に下向した大永八年(1528)に次郎三郎秀益は叛旗を翻したが、じきに蟇浦の蟇浦常利、浦壁の島田時儀らに攻められ、炬口城は落城した。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
この先から踏み込んでいけます  炬口城跡は洲本市北側にあり、市内を見下ろす形になっており、標高96,4メートルの丘陵端部にあります。傾斜が非常にきつく、ところどころ崩落防止のためコンクリートでかためられてたり侵入できないようになっています。どこかに侵入路はないかと付近を歩いてみました。古又代主神社から細い路地を炬口の集落の中を進んでいきます。かなり怪しかったかもしれません。(^^;泰雲寺から秋葉神社へと足を踏み込んでいきますとどうやら丘陵地の上へとあがれそうだとわかりました。
 神社の参道を上がっていくと、そこは宝暦七年(1758)頃、稲田氏の老臣本庄市兵衛氏の邸宅跡であったとする案内板が置かれています。文字が消えかかってほとんど読めないですが・・。
きつい傾斜で危険です  そこからさらに上へと続く細い踏跡が続いていました。城域から見て南西にあたるこのあたりは非常にきつい傾斜となっています。うっかり足を滑らせると下まで落ちていきそうです。ゆっくり慎重に10メートルほど進んだのですが、ほんとに危なそうでしたのでこれ以上進むのはやめました。もう少しで郭に取り付けそうなのですが、ここはリベンジすることにします。
   それか、大回りして西側から攻めればよかったかもしれませんが・・。
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