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玉巻城跡
登城日:(2004.07.25)
所在地: 氷上郡山南町玉巻
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
二の曲輪跡 主曲輪にある堀切  玉巻城(久下城とも)は、久下氏が代々居城した城である。もともと武蔵国大里郡久下保に居住していた久下氏であったが久下次郎重光の時、源頼朝が平氏追討の旗揚げを行った際手勢250騎を引きつれ、その軍功により丹波国栗作郷の領家職、ほか2カ荘を賜ったのが丹波との関わりの最初である。
 承久三年(1221)、重光の孫直高が栗作郷の地頭として関東より移ってきた。以後丹波に定住し、一時は丹波守護代となるほどの大身となったがやがて衰退して久下谷一帯を治めるだけとなった。
   戦国時代末期には黒井城に属していたが、天正七年(1579)5月明智光秀の丹波攻略により落城した。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
三の曲輪周辺に散乱する岩 長慶院西に建つ久下時重の顕彰碑  JR福知山線「谷川」駅西側の線路を北へ渡るとすぐ左に「玉巻城」へと書かれた適当な方角を向いている標識が目にとまりました。が、とりあえず長慶院の駐車場に車を止めます。
 すぐ目の前の山が標高241メートル、通称八幡山と呼ばれる玉巻城跡です。登城道はわからなかったのでとりあえず適当に傾斜を直登していくことにしました(^^;。夏場だと言うのにほとんど下草がありません。また傾斜もそれほど急なものではありませんのでなんとか上へと登っていけます。順調に登っていけばたどり着くのが二の曲輪跡(約40メートルx25メートル)です。そのまままっすぐ平坦な道を進むと主曲輪跡となり中央を堀切で分断されています。また、南側には大きな竪堀が確認できます。ここを中心にして城地はL字型を描き、北へと伸びていきます。その先には三の曲輪があり、周囲には古い石積みの跡を示す巨岩がごろごろしています。
 この季節にしては終始攻めやすい山城でした。唯一困ったのはセミが大量発生していたことです。こんなにセミが密集している中を歩いたのは初めてでしたので、結構不気味でした。やたらセミが体当たりしてくるし(-_-;・・・・。
 長慶院側へ戻ると山麓に久下時重を祀る顕彰碑がたてられていました。
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