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豊地城跡
登城日:(2001.04.07→2010.02.27)
所在地: 小野市中谷町字城ノ土井
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
発掘された主郭、堀の様子もバッチリ 豊地城で最もわかりやすい土塁  豊地城は古くから様々な領主が治める地であったが、天正年間には別所重棟が城主となったが、近隣の城の例にもれることなく、羽柴秀吉の手により消えゆく運命となった。南北朝の時代より依藤氏の治める当地は秀吉軍の蹂躙という播磨の歴史的事件だけがクローズアップされるため、別所氏の城という印象だけが知られているようである。

参考文献:新人物往来社『日本城郭体系12』

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資料 【地図を表示する】
 

私見
出土した様子 田んぼの下から石造りの井戸が  道路整備の為に豊地城跡とされる田んぼが発掘調査され、平成22年2月27日にその成果として現地説明会が実施されました。今までは城の北側に東西にまっすぐ伸びた土塁がよく知られていましたがその規模はよくわからなかった豊地城。今回どんなお話が聞けるかワクワクして訪れました。
 今回の調査の前に住宅の建て替えで一部先行して調査が行われており、石積みが発見されたことをニュースで聞いていましたので、さらに石垣が出てきているのかなと期待しましたが、残念ながら石は主郭とみなされているところの東側の住宅が建つところだけのようです。しかし圧巻だったのは主郭の北西部が丸みを帯びた形状となっており、北側に広い堀がつくられている様子がよくわかるようになっていた点です。城域としてはさらに西に延びており、堀跡とされる場所がいくつか示されていました。旧状を知っているだけにこの発掘調査の状態は実に新鮮で、楽しいものですね。地面の下にこんな”お城”が埋もれていたなんて・・・。出土品として軒丸瓦、備前焼き、丹波焼き、土師器などが展示されています。また城内に石造りの井戸も見つかっており、「田んぼの下にこんなものがあったのか」と地元の方も驚かれていました。今回は考えられている城域をすべて掘っているわけではありませんのでまだ未調査の部分を残してはいますが、この発掘調査のおかげで豊地城の存在について強く考えさせられたいいきっかけとなりました。
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