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恒屋城跡
登城日:(2003.08.13)
所在地: 神崎郡香寺町恒屋
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
案内板がある登城口  頂上の北側が後城(標高236メートル)、南側が前城(標高199メートル)です。この城は嘉吉年間(紀元1441〜1443)に恒屋氏が築城し天正四年(紀元1576)羽柴秀吉のちの(豊臣秀吉)によって落城しました。その折に恒屋氏は滅亡したようです。城の遺構本丸、出丸、土塁、ほり、など中世の山城の典型的機構が残り城の下には堀をめぐらした居館跡も見受けられます。

『恒屋城跡案内板』より

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資料
 

私見
くっきりと残る堀跡 大きな堀切  恒屋城は、香寺町随一の恒屋氏の山城として存在していました。城跡への案内は結構出ているので麓までは楽に行けると思います。駐車は麓のJAの駐車場か、道路向いの公民館の駐車場がいいでしょう。そこから約600メートルで登城口までいくことができます。
 登城口横には案内板がおかれていますが、いきなりの薮で無事頂上までたどり着くことができるかどうか不安にさせられます。夏場の山城ですから、大変な状態が予想できます。
 が、薮が繁っていたのは登城口だけで、結構整備された山道が続いていますので比較的簡単に登っていけました。すぐに前城の郭跡に到着しますが、そこからは予想していた薮が見事にのび放題となっています。ですが、そこには見事に残る堀跡と幅2〜3メートルの大きな堀切が郭を分断しているのが確認できました。
 そしてさらに北側に歩みを進めていきますと、さらに高さのある郭跡が広がっているのが見て取ることができます。が、かなりの薮です・・。膝よりも高い雑草が育つ中を強引に進むしかありません。こんな薮の中には蛇だっているかもしれませんからかなり恐ろしいです。ですが、ここまで来たんだからということで無理に自らを鼓舞しつつどんどん上へと登っていきます。途中、何段かの平地で構成された郭跡があることだけはこの夏場でもわかるのですが、やはりこの恒屋城へは春先か、晩秋の草が少ない時期でないと面白くないですね。
 この後城のほうにも竪堀跡や堀切も見えたのですが、あまりの薮の中に、頂上まで進むことは諦めて退散しました。ですが、すっかりわかりにくくなってしまってる城址碑の標柱はしっかりと写真には収めてきましたが。
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