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宇仁山城跡
登城日:(2005.01.23)
所在地: 西脇市水尾町字宇仁山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
奥山寺多宝塔の裏山が城跡です 西郭の西側にある堀切  宇仁山城の歴史の詳細は不明である。天文年間(1532〜55)初期に在田氏が野間城に本拠を置いた頃に、この宇仁山城も周辺城塞群のひとつとして、在田氏の被官人である宇仁氏が在城していたと考えられている説もある。
 その一方で、南麓にある奥山寺一帯が江戸時代には門前町として形成されていたことから、同寺との関係が想像される。また『赤松盛衰記』にもその関係があると思われる記述もあり、建武の親政時に築城されたのでは、とも考えられている。

『播磨・水尾城跡の調査と研究』西脇市教育委員会刊参照

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資料
 

私見
西郭です。三角点ですね  宇仁山城跡は、加西市と西脇市との境に位置する宇仁山に展開していました。奥山寺を目指していけば簡単です。同寺の駐車場に車を停め、急な石段をあがっていきますと、多宝塔に出ます。その脇を過ぎ、さらに奥に進むと石仏が祀られているところに出ます。数メートルの段差ですが、迷わずそこを直登します(^^;。すると左右に細長く伸びた稜線上に到達していることになりました。右側の山頂部が城跡ですので、約20メートルほどの傾斜をさらに直登します。
東側の郭です。  ちょうど城跡には西側から取り付いた格好となりますが、まずは堀切が現れます。かなり埋まってしまっているようですがよく残っています。そしてその先が郭跡です。この城は東西に大きく2つに分かれており、それぞれの間には堀切が作られています。西側の郭は前後に堀切があるほかは非常にシンプルな構造のようです。
 さらに平坦なところをそのまま進んでいくと東側の郭に出ます。が、このあたりは昨年の台風の影響か、大木が根こそぎ倒れてしまっており、堀切の上や土塁の上に覆いかぶさってしまっています。東側の郭は西側と比較すると少々複雑な形状となっていますね。段差のある削平地と土塁がまわっており、帯曲輪も見えます。土塁の”折れ”というのを見たかったのですが、よくわからない状態でした。北側は見晴らしがよくなっていて、水尾城跡の山も見えているようですね。
 歴史がよく知られていなくてもこんなによく遺構は残っている山城もあるんだな、とまだまだ播磨にはいい山城が残ってるんですねぇ。
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