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内場山城

内場山城跡


登城日:(2009.07.12)
所在地: 篠山市東木之部
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
内場山城南側には非常に登りやすい階段が・・ 内場山城南側より  内場山城の詳細は不明である。一説には天正期に波多野氏の高家三人衆の一人山名豊恒が拠ったとするもの、あるいは山名小太郎の家臣内場藤十郎が築城した(『丹波志』)とある。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
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私見
分かりにくいですが、帯曲輪が続きます 内場山城南麓の居館跡?  内場山城(うちば、ないば、別名を宮田城)は昭和60年に舞鶴若狭自動車道の建設に伴い、東側半分を大きく削られてしまいましたが、しかしそのおかげで発掘調査が行われた近隣の山城の中でも珍しいものになります(いいのか悪いのか)。
 比高120メートルという高さも南側につけられた神社への階段を利用することで簡単に山上に出ることができていいですね。小さな社をまわり、奥の藪に踏み込むとそこからは中世山城の雰囲気が十分残されていることに驚かされます。削平された場所が山頂部に2つ残っており(神社の部分も郭かな)、西側には帯曲輪状の遺構がよくわかります。また小さいですが竪掘も見られます。南北に小さな段々が造られており、北側に四段、南側には六段を数えたそうです。内場山城の南麓には溝で囲まれた田圃があり、そこが居館跡ではなかったかとも考えられているようです。
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