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屋島城跡


登城日:(2006.08.12)
所在地: 高松市屋島東町、屋島西町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
城跡としての雰囲気が伝わってくる屋島  屋島城は天智天皇の世667年に大和の高安城、対馬の金田城とともに築城された古代山城である。
 当時の朝鮮半島では高句麗・百済・新羅の三国鼎立が崩れ、百済が660年に滅亡し唐と同盟関係にある新羅が勢力を伸ばそうとしていた。日本は旧百済の遺臣の加勢をする目的で筑紫から外征を行った。
 663年、白村江の戦いにより日本軍は壊滅し、それにより日本国に対して唐や新羅軍の侵攻の危険性が一気に高まっていく。これに対して天智天皇は対馬から北九州、瀬戸内、大和などの要所に城を築いて防衛に力を注いだ。
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資料 【地図を表示する】
 

私見
屋島城の南嶺にある城門跡 ブルーシートの下には石塁が!  かつては瀬戸内に浮かぶ島だった屋島も車で上がれるようになっていますので頂上の駐車場で車を停めます。古代山城(朝鮮式山城)はまだまだ今後解明されていくと思いますが、1000年以上も前の城の遺構が確認できるなんて、それだけでものすごくわくわくします。
 屋島は北嶺、南嶺とにわかれ山頂部分は山城遺構は見られない。北嶺の浦生集落へと続く斜面上の石塁は古くから発見されていましたが、南嶺にも石塁が平成10年に発見されました。これにより一気に古代山城である屋島城(やしまのき)への注目度があがったようですね。
 私は南嶺の石塁跡一帯を見ましたがその全域すべてにブルーシートがかけられており、古代の石塁を満喫することはできませんでした。ここ数年こんな状態だという声も聞きましたが、早く石塁を拝めるような整備をしていただきたいなと願っております。8月の暑い中、外郭線をたどりながら歩くことはかなりきつかったですが、古代の遺構を探しながら又思いを馳せながら散策するのは実に楽しいものですね。
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