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熊本古城跡 登城日:(2005.03.20) 所在地: 熊本市古城町 |
歴史 |
熊本古城は、出田秀信がはじめて熊本に築城した千葉城ののち明応年間(1492−1501)鹿子木寂心が茶臼山に築城したのがはじまりで、隈本城としていた。その後城氏、佐々成政、加藤清正らの居城したが、慶長十二年(1607)加藤清正が現在の熊本城の拡張を完成させ、その際に古城は熊本城の二の丸として組み入れられた。 ◆古城掘 熊本城は日本三名城の一つにも数えられ、約、九十八万平方メートルもの広さを持つ豪壮雄大な城です。 明治十年の西南の役では薩軍の猛攻撃に耐え、その真価を発揮しましたが、その際天守閣をはじめ多くの櫓が失われました。そこで、文化庁と熊本市では本来への復元を進めています。 この付近一帯は古城の掘の跡で、戦前の段山を削った土や昭和二十八年の大水害の際の排土で埋められたものです。そのため熊本市は、昭和五十四年度からこの地区の公有化を進めており、将来は凌渫(りょうせつ、りょうの本当の字はさんずい)して、旧態の掘に戻すことにしています。 『現地案内板』より他
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資料 |
私見 |
千葉城跡がある方向とは反対側、熊本城本丸から見て西にある古城端公園、及び熊本第一高校一帯が古城跡(ふるしろ、隈本城とも)です。住所も古城町ですのでわかりやすいですね。現状は高校が建つ高台の側面に石垣もありますが、これは古城の時のものも含まれているのでしょうか。公園となっている部分のみが、往時を偲ぶことができますが、新城に吸収されてしまうとわかりにくいですね。(^^;
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