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穴太城跡
登城日:(2004.06.13)
所在地: 亀岡市曽我部町穴太
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
天守台裏の断崖 穴太城がいつごろ築城されたのかは不明だが、天正年間(1572〜1593)に赤沢加賀守義政が居城していたとされている。『石田家系全』によれば義政は長沢因幡守智であるとなっており、笑路城城主長沢氏と親戚関係にあったと考えられているようである。

『日本城郭体系11』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
天守台か?  穴太城跡(長谷川堡とも言う)は、式内小幡神社の裏山にあったとされています。周りの地形を見渡すと、東側は急な崖となっておりその下を犬飼川が流れています。
 城郭体系によれば本丸は東西52メートルx南北50メートルの不規則な五角形をなし、西には二の丸、東には三の丸を配した梯郭式の平山城となっています。が、神社境内奥から登ったところは削平地が3段あり、一番上の奥には土塁跡ととれる郭がありました。どうやら私が散策していたのは穴太城の天守台跡だったようですね・・。またリベンジしないと。
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