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福知山城跡
登城日:(1999.03.20)
所在地: 福知山市
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
福知山城天守閣。 福知山城は慶長年間に近世城郭として完成されました。
 明治の廃城後わずかに残された本丸に多くの皆様の協力により大天守閣続櫓小天守閣が再建されました。
 城郭研究の権威、東京工業大学名誉教授藤岡通夫工学博士の復元設計による二重櫓に入母屋の大屋根をかけその上に小望楼をのせた姿は初期天守閣の様式をよく表しています。

 福知山城が天守閣を構え近世城郭として発展してきたのは天正七年(1579)に明智光秀が丹波を制圧した時からのことでした。
 しかし、光秀の時代も長くは続かず、天正十年(1582)の山崎の合戦にて戦死した後は羽柴秀吉の養子である秀勝が入り、次に北政所の叔父である杉原家次が城主となった。家次が病死すると秀吉の家臣である小野木重勝が入城したが、慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦で西軍に属したために、東軍の細川忠興に攻められ落城。有馬豊氏が入城した。
福知山城天守閣横。  元和六年(1620)豊氏が筑後久留米に転封になると、亀山から岡部長盛が入封してきたが、3年後稲葉紀通と交替した。
 慶安二年(1649)紀通が乱心し自殺した後に松平忠房が城主として入城した

構造:鉄筋コンクリート造
   三層四階建
延床面積:1063平方メートル
総高:20.2メートル
竣工:昭和61年11月9日
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資料
 

私見
天守石垣には転用石が多用されています。 福知山城は急な石段の上の高台に復元されています。白壁や瓦は新しいものの、無骨な木肌、高く積み上げられた石垣は真新しく復元された城にはない存在感を感じさせてくれます。
 またここの石垣には転用石が多く利用されており、石臼や石仏、燈篭などがそれほど注意深く探さなくても簡単に見つかります。これほど大量に転用石を使用した例は、大和郡山城と福知山城くらいだそうですね。さまざまな大きさの石がつみあがっているなかで見るからに燈篭の台だとわかるものが混じっているのは見ためには非常に汚く見えてしまいます。
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