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神足城跡


登城日:(2006.04.06)
所在地: 長岡京市東神足二丁目、神足神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
勝龍寺城の空堀を土橋から撮影しました。 神足神社参道入口脇には勝龍寺城の土塁や空堀があります。 ◆勝龍寺城の土塁と空堀
 現存する土塁と空堀は、細川藤孝が元亀二年(1571)に城の大改修で造営したものです。土塁と空堀の他、土橋と横矢の掛る土塁が残されています。神足神社の東側は、昭和五十九年(1984)に消滅しましたが、発掘調査で土塁と空堀の比高が約六メートルあること、新たに土塁下から六世紀後半の方墳である神足古墳が確認されました。
 勝龍寺城外郭に位置する神足屋敷は、藤孝が国人神足氏の居館である神足城を勝龍寺城に組み込んだものと考えられます。
 平成十二年の調査では、土塁の手前で止まる南北方向の塀と、土塁を調節する溝を確認しました。絵図にない堀はこれまでにも見つかっていますが、新たな堀の発見は城の細部を明らかにする上で貴重な手がかりとなります。このほか、菊一稲荷社で使われたとみられる灯明皿と狐の土人形が空堀から出土しています。

勝龍寺城の土塁です。  神足城がいつ頃築城されたのかは不明だが、神足村の土豪神足氏の居館であったとされている。神足一帯は九条家の荘園となっており、神足氏はその管理をしていたようである。
 永正元年(1504)九月、管領細川氏の内紛に巻き込まれた神足氏は神足城を失うこととなる。その後にこの地に入ったのは細川氏の重臣香西元能であったが、香西が現地で私腹を肥やすようになることで九条家との確執が強まるようになっていく。(『京都乙訓・西岡の戦国時代と物集女城』文理閣刊参照)
 やがて神足城があった一帯は細川藤孝が勝龍寺城を拡張した際に飲み込まれてしまい、いつしか消滅してしまった。

『現地案内板』より

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資料
 

私見
神足城跡とされる神足神社です。  JR京都線「長岡京」駅を東側出口から降り、線路と平行して南へ5分ほど歩いていくと左手に鬱蒼とした木々が見えてきます。神足神社の境内ですが、東へと進路をとりさらに奥に歩いていく参道の南側には高い土塁と平行して空堀が残されているのに気がつきます。これはすぐ南にある勝龍寺城の外郭線にあたるもので、現在はここだけが見事な状態で保存されているのです。参道に入るところでは土塁が折れ曲がったようになっており横矢が掛っています。スーツ姿だったので(汗)、その中に飛び込む勇気はなかったのですが土橋があり、空堀を渡ることができるようになっていましたので撮影ポイントを逃すことなくて助かりました。
 って・・・・ぜんぜん神足城のことじゃなかったですね(笑)。この神足神社付近が神足氏の居館、神足城があったところとされていますが、遺構が残ってたり発掘調査で何かがでてきたりというわけじゃないのです。勝龍寺城の以前のものとして六世紀後半の古墳が出てくるなんてねぇ・・・。神足城は謎に包まれた古城ですね。
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