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二条城
登城日:(1999.08.29)
所在地: 京都市中京区二条通堀川西入二条城町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
東大手門。重要文化財です 二条城は、慶長八年(1603)に徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛の時の宿泊所として、西日本の諸大名に号令し築城させました。そして寛永三年(1626)には三代将軍家光が、本丸・二の丸・天守などを完成させました。以降は代々、城代を置いて留守居をさせておりました。
寛延三年(1750)には落雷により、五層の天守は焼失し、天明八年(1788)には市中の大火により本丸殿舎、同櫓が焼失してしまいました。現在の本丸御殿は、もともと京都御所にあった旧桂宮御殿を明治二十六〜二十七年(1893〜1894)にかけてここへ移し建てられたものです。この本丸御殿は弘化四年(1847)に建てられたもので、宮御殿の遺構としては完全な形で現存している唯一のもので、重要文化財に指定されています。
また、二の丸御殿は桃山時代武家風書院造りの代表的なもので、御車寄につづいて遠侍、式台、大広間、黒書院、白書院の6棟が東南から西北にかけ雁行に立ち並んでいます。建物面積は3、300平方メートル、部屋数33、畳は800畳余りが敷かれています。
二の丸御殿へと続く唐門 各部屋には欄間の飾絵、襖絵など、狩野派の手による豪奢なものばかりで、国宝に指定されています。
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資料
 

私見
国宝、二の丸御殿。 以前より訪れてみたかった城のなかのひとつにこの二条城がありました。よく車で大手門前は通っていたのですが、こうして初めてなかに足を踏み入れてみて、そこが外堀、内堀でしっかりと守られ、又天守台まで残った立派な城跡であることがわかったことは大きな驚きでした。今まではたかが御殿跡としか認識していなかったのですが、打ち込みはぎの外堀から二の丸へ、そして内堀を経て巨大な切石が積み込まれた切り込みはぎの石垣から本丸へとしっかりと城郭の佇まいを残しているではないですか。国宝指定のされた二の丸御殿だけがクローズアップしてそれ以外があまりかたられることのなかったのでしょうか。実に特をした気分です。

内堀、右手は本丸跡 二の丸御殿に足を一歩踏み入れたとたん、すぐにあることを思い出しました。うぐいす張りの廊下です。非常に落ち着いた感のあるキュ、キュというきしみが小気味良いですね。部屋の中にはいたるところに襖絵や欄間絵が並んでいましたが私にはあまり興味がありませんで、よく見てなかったのですが、この建物のなかで、古くは徳川家康が大阪の陣へ出陣していったことや、はたまた徳川慶喜が大政奉還の儀を行ったことを想像するとわくわくしてきます。
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