城めぐドットコム HOMEへ Check   Twitterでつぶやく     

宇治代官所

宇治代官所跡

登城日:(2011.09.17)
所在地: 宇治市宇治妙楽
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
京都銀行宇治支店前にある石碑  上林家は、徳川家康が本能寺の変(1582)で堺から三河に逃げ帰る際、上林久茂らが近江信楽まで先導した功績により代官に取り立てられたと伝えられている。
 上林一族の代官支配は、江戸時代の初めころから寛保三年(1743)までの百数十年七代にわたって宇治の代官として君臨した。寛保三年から寛政十二年(1800)までの五十七年間は宇治に居住しない代官がこの任にあたった。
 その後、寛政十二年から天保十四年(1843)の四十三年間、上林六郎久忠が代官に就任しそのあと久建、久賢が代官職を勤めた。以後宇治郷を支配する代官は京都代官小堀氏、信楽代官多羅尾氏の兼務で引き継がれ、明治維新におよんだ。
 代官所のあった宇治妙楽160番地は明治五年八月には宇治町役場となり、また明治六年二月に開校した菟道小学校の門は、代官所の門が使用された。その後、この役場は、昭和二十六年の三月に宇治市役所となり、宇治市制が発足した記念すべき場所で、昭和三十八年に現在の宇治市役所(宇治琵琶三十三番地)に移転するまで続いた。

『宇治代官所跡案内板』より

【戻る】

資料
【地図を表示する】
 

私見
代官所跡を示す碑  この日は伏見方面のお城めぐりを予定していたのでレンタサイクルを受け取りに宇治に立ち寄っただけでした。そして自転車に乗って何気に走らせていたら、道路脇に何やら石碑がある!すぐに急ブレーキをかけて、振り返ったところにあったのがこの宇治代官所跡だったのでした。
 完全にノーマークだったので写真だけ撮ってすぐに目的地を目指しましたが、あとで調べてみると、代官を務めた上林氏は面白いですね。すでに「御茶師」として宇治のお茶の製造を担っていた一面を持っていたというのは全く知りませんでした。考えてみれば大名たちの間で茶道が流行っているわけですから、その製造元であるお茶を供給する側もしっかりとお役目を与えられ、管理されていたということなのでしょうね。それが現代になってもなお上林氏がお茶に携わっているのは実に興味深いものがありました。ただ、今は上林さんでもいくつか分かれているようですので、細かくは追究しません。詳細はさておき、戦国大名たちが愛した宇治のお茶が今も手軽に飲むことができるのはありがたいものですね。自販機でペットボトルのお茶を買いながら、永い年月に思いを馳せるのでした(^^;。でも、ボトルのラベルは源氏物語なんですね。
【戻る】