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松ヶ島城跡
登城日:(1999.12.25)
所在地: 松阪市松ヶ島町字城ノ腰
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
田圃のなかに寂しく佇む城跡。  松ヶ島はかつては保留久美(細波・細首とも書く)といい、参宮古道に沿った、海陸交通の要衝であった。
 天正八年(1580)、織田信雄(信長の二男)は南伊勢統治の居城を田丸城(度合郡玉城町)からこの地に移し、松ヶ島城と称し、五層の天守がそびえていたという。その後、信雄の家臣津川義冬、滝川雄利を経て、同じ十二年、豊臣秀吉の武将蒲生氏郷が十二万石の大名として入城した。
 ところが、氏郷は四五百森に着目して築城し、新城下松坂に移り、本城下の町人や社等はすべて強制移住させられて、松ヶ島は瞬時にしてもとの一漁村に変容した。
 古図や検地帳には天守跡・堀之内・丸之内・城の内・南之内・日の丸といった城郭名や、殿町・本町・西町・紙屋町・ほうく町・鍛冶町という町名が見え、往時の繁栄をしのばせる。
 ここに残る指定地は俗に天守山と呼ばれ、付近から金箔をおした古瓦片などが出土しており、本丸天守の跡と考えられる。

『松ヶ島城跡案内板』より


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資料
 

私見
 松ヶ島城といえば、蒲生氏郷がいた城として結構大きかったと思うのですが、現在はおざなりな状態で放置されています。場所も非常に分かりにくく、松阪駅前の観光案内所で詳しく聞いてはじめてわかったくらいです。
 車ではとても近づけられないので5分ほど歩いたのですが、まわりはビニールハウスがつくられた畑や田圃だけです。ま、一応来たというだけですね。
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