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長島城跡
登城日:(2000.04.23)
所在地: 桑名郡長島町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
移築門です。現存してたんですね。 ◆長島城山門
この山門は、第十一世賢道の代の明治九年(1876)に、蓮生寺が長島城大手門の払下げを受け同寺の山門として移築したものである。旧大手門よりも縮小されてはいるが、瓦に増山氏の家紋がそのまま残されており、長島城最後の建造物として、なおその面影を留めている。

寛元三年(1245)藤原道家が長島家をこの地に始めて造り、次いで文明年間(1482)伊勢国安濃郡長野の伊藤重晴が再建しました。元亀、天正の頃(1570〜157)一向一揆がこの城において、織田信長と交戦しました。元禄十五年(1702)増山正弥が長島城に移り、明治四年、廃藩に至るまで八代百七十五年間に及びました。長島といえば増山氏二万石の城下として知られています。
この長島絵図は、寛政年間以後のものと言い伝えられていますが、詳細は明らかではありません。

『長島城跡案内板』より


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資料
 

私見
目の前の中部小学校。ここに長島城がありました。 長島城は木曽川、揖斐川、長良川の中州にあり、元亀元年(1570)一向宗の願証寺証意がこの城を奪って織田信長と戦い、信長の弟を自刃させたところです。。しかし天正二年(1574)織田勢の三回目の攻撃に屈し、一向一揆の男女二万人が虐殺されたというのは非常に有名なお話ですよね。
長島城があったところには現在長島中学、長島中部小学校が建っています。案内板こそありますが、そこがかつて城地であったとは到底想像ができません。写真をとっていますと通りかかった小学生に不審な表情をされてしまいました。「なんやこのおっさんら、怪しいなぁ・・」と。確かにヤバいですよね。(^^;
またこの長島城の山門が現存しているということで近所の蓮生寺にいってみました。瓦にはしっかり増山氏の家紋が描かれていますのがわかりました。しかし・・・長島城って結構長く続いたんですねぇ。私はてっきり信長が攻め落とした時に廃城になったとばかり思ってたんですが。
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