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渋見城

渋見城跡


登城日:(2008.05.05)
所在地: 津市渋見町、渋見砦跡公園など
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
渋見城跡である渋見砦跡公園  ここはかつて渋見砦がありましたが、この度の住宅団地造成に伴い、平成二年〜三年に発掘調査を行い記録保存をすることになりました。そこで、遺跡の存在を後世に伝えるためにここに碑を建てることにしました。その砦の概要は、次のとおりです。
 この砦は、永禄年間(1558〜70)乙部・中河原の城主乙部兵庫頭藤政が織田信長の伊勢侵攻に備えて築城したものです。
 永禄十三年(1570)信長の弟信包に攻められ城は落城、藤政は家所(美里村)に逃れそこで自殺したとも、一身田専修寺に入り剃髪したとも言われますが、詳細は不明です。
 城はおよそ5.5ヘクタールあり、主郭を中心にいくつかの郭から成っています。さらに、これらの郭を二重の空堀で取り囲むように計画されており未完成ではありますが近世の「回」字型の縄張りに近い形式をとっていました。

『渋見砦跡案内板』より

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資料
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私見
渋見城跡である渋見砦跡公園  津城から北西へ約2キロメートルの距離にある丘陵地全体に広がっていたのが渋見城でした。現在は住宅街となってしまい、かろうじて小さな公園「渋見砦跡公園」により城跡があったことを伝えるのみとなっています。『日本城郭体系』にある縄張り図を見れば現在の様子とのあまりの違いに驚きです。
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