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仙台城跡
登城日:(2002.05.20)
所在地: 仙台市青葉区
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 仙台城隅櫓 ◆仙台城の歩み
 伊達正宗が、自然林と断崖と川に囲まれた天然の要害青葉山に築城を開始したのは関ヶ原の合戦の直後、1600年(慶長五年)のことである。この時、地名は「千代」から「仙台」に改められた。1611年(慶長十六年)仙台城を訪れたイスパニアの使節セバスチャン・ピスカイノはその「金銀島探検報告書」の中で「城は日本で最も優れ、最も堅固な城の一つである。」と賞賛している。二代忠宗は1638年(寛永十五年)二の丸を造営、その後も整備拡充と被災を繰り返しながら幕末に至ったが、明治維新後ほとんどの建築物が取り払われ、昭和二十年の仙台空襲で残っていた大手門も脇櫓とともに焼失した。昭和四十年に脇櫓だけが復原されている。

◆本丸跡と建築群
 本丸は海抜115m〜140mの丘陵性台地に立地し、東西約243m、南北約265mの広さがあり、東と南は断崖、西は御裏林と呼ばれる深い自然林で守られていた。1610年(慶長十五年)、着工より約10年でほぼ全容が整い、天守閣は造られなかったが、大広間を含む広大な御殿、5ヵ所の櫓、詰の門、能舞台、懸造りなどの建築物が偉容を誇っていた。
本丸御殿(本丸大広間)
 1610年(慶長15年)完成。桃山式書院造りで、俗に「千畳敷」といわれる豪壮なものだった。
懸造り
 艮櫓と巽櫓の間の東崖際に突き出た数奇屋風の書院建築で、城下を一望でき、正宗以下、歴代藩主はここを城下行事の観覧などに利用した。
艮櫓
 瓦葺入母屋造りの三重櫓で美しい屋根勾配をもち、1600年代なかばの地震で他の4つの櫓と共に崩壊したと考えられている。
詰の門
 二階の梁間が前面に張り出し、棟の上に鯱が乗るなど規模ならびに意匠面で、大手門に極めて似ており、また、両脇には艮櫓と同様の三重櫓がそびえていた。
伊達正宗公 ◆仙台城大手門跡
 仙台城大手門は素木造二階建、入母屋造本瓦葺で一階は正面七間、背面五間、二階は十間の規模で桁行は六十五尺(約20m)あった。両脇と裏面は漆喰壁で禅宗様の火灯窓を持ち、正面冠木に菊と桐の金箔押の飾金具をあしらい棟に鯱を頂く。全国随一の規模を誇る桃山様式の威風堂々とした美しい城門で、二層の隅櫓とともに国宝に指定されていたが、昭和20年7月9日の仙台空襲により焼失した。
 現在の隅櫓は昭和39年に復原したものである。

『仙台跡案内板』より

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資料  

私見 復元中の石垣  朝一から仙台城を攻めてみました。隅櫓がまず出迎えてくれ、そこから本丸へと登りの道をあがっていきます。途中で、石垣の隅石部分が大きくはみ出しているところがあり、注意しないと事故りそうな個所がありましたが、逆に私には嬉しいポイントです(笑)。そこを過ぎると有料となるので仕方なくお金を支払い、駐車場に車を停めました。
 辺りを見渡してみましたが隅櫓で期待させといて、上まで上がってみると観光地になってるんですね。ただ、東側の斜面では伊達正宗の像があったり、その下では石垣を組んでいる工事を見ることができました。
 ひとつひとつ切り出してから、機械でできた切り口を細かく当時に近いものにしてるみたいで、ほんと時間のかかる作業だということがよくわかりました。それに普段見ることのできない石垣の内部の姿も拝むことがきましたし。私が訪れた5月20日時点では「艮櫓復元工事」の文字が大きく書かれた看板があがっていましたが、この直後復元工事は白紙に戻されたみたいです。もともと歴史にない姿で艮櫓を復元しようとしていた計画のようで、結局それを取りやめて、大手門の復元をするらしいです。
 各地で城の復元をやっていますが、やっぱり歴史の捏造のような復元(復興というか)はやめていただきたいですねぇ。
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