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大堀館

大堀館跡


登城日:(2012.07.22)
所在地: 長野市青木島町大塚、更北中学校
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
更北中学校が建つ大堀館跡  弘治元年(1555)7月19日、武田軍と上杉軍は犀川をはさんで戦闘状態に入った。第二回川中島合戦で、お互いに小競り合いを続けるも決定的な戦いは行われず、約200日に及ぶ対陣の結果、今川義元の仲介で和議を結び、両軍は閏10月に撤退した。この時の条件で、武田方の旭山城、上杉方の新しい城砦も破却されている。
 この戦いで信玄の本陣となったところが大堀館とされる。大堀館は別名「町田氏屋敷跡」ともいわれ、信玄、勝頼の二代に仕えた地元の土豪、町田の居館跡として伝承される。
「川中島の戦い」ゆかりの地整備保存会

『大堀館跡案内板』より

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資料
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私見
更北中学校が建つ大堀館跡  中学校の門の脇に「大堀館」跡を示す石碑が置かれていました。城跡に学校が建てられた典型的なパターンで遺構は一切ありませんね。案内板にあった町田氏とは、先祖が治承四年(1180)に平家打倒に失敗した以仁王に従って信濃に逃れ、長野市若穂町田に落居し、町田氏を名乗るようになりました。その後、応安三年(1370)に大堀に城を築いたとされています。天文年間に入って、城主町田兵庫正之は初め村上氏に属していたが、やがて武田信玄に降るとその後戦功をあげて活躍したそうです。(「川中嶋古戦場ひとり旅」銀河書房刊)
 休日の早朝だったので幸いでしたが、生徒さんが多くいる時間帯だとなかなか攻め込みにくい場所ですね。
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