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平戸城

平戸城跡


登城日:(2007.10.14)
所在地: 平戸市岩の上町、亀岡公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
平戸城の北虎口門 平戸城の模擬天守  平戸松浦氏は秀吉政権下の天正十五年(1587)、63,200石の大名となった。
 文禄慶長の役では約6000の軍兵を率いて朝鮮半島を転戦し、帰還後の慶長四年(1599)初めてここに「日の岳城」を築いたが、同十八年に大火により焼失した。それからおよそ100年後の宝永元年(1704)、徳川幕府の許可のもと、亀岡城(平戸城)再築に着手。15年の歳月と人夫約555,000人、銀1,180貫余を費し、享保三年(1718)に完成した。
 総面積約54,000坪(18ヘクタール)最上部の本丸は海抜16丈2尺(約50メートル)、城郭部は白浜郭を含む外郭、三の丸、二の丸、本丸の4層からなる。
 往時の木造遺構としては北虎口門と多聞櫓(狸櫓)が現存し、昭和35年より乾三重櫓、地蔵坂櫓、見奏櫓、懐柔櫓、沖見櫓(現天守閣)が再建された。

『平戸城跡案内板』より

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資料
 

私見
天守から見た見奏櫓 平戸城の遠景  平戸城は平戸瀬戸に丸く張り出した小高い丘の上にありました。遠景からの眺めは写真映えのする近世城郭だと感じます。100名城のスタンプが置かれている土産物屋さん前の駐車場に車を停め、本丸を目指しますがなかなか櫓や天守が見えず、写真を撮るチャンスがあまりありませんでした。その感覚はそのあとも続きましたが私だけでしょうか。建物派な方は苦労されるかもしれません。
 北虎口門をくぐり、狸櫓や乾櫓を見て進路を左へととり本丸へと進みます。城内は見通しが悪く狭い感がありますが、往時はどうだったのでしょうか。天守に登り、そこからの景色をみてようやく落ちつくことができました(笑)。周辺の各櫓や、城外の眺望が一望できます。今日はたまたま城内で子供相撲大会をやっていました。あちこちにまわしをつけた小学生がうろうろしていて、ここでもカメラをうまく使えませんでした(^^;。
 私は忘れてましたが、平戸城で忘れてはいけないのは門跡の枡形や石垣でしょう。安寿門、大手門は撮影に困らない遺構としてもすばらしいですよ、きっと。
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