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超昇寺城跡
登城日:(2005.02.26)
所在地: 奈良市佐紀西町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
城にめぐらされた空掘  超昇寺城は、超昇寺城の僧が出自とされる超昇寺氏が拠ったとされるのが最初である。長禄三年(1459)、越智方の勢力と戦った際に籠城したが破れ、城は破却された。その後も超昇寺城の名は歴史に登場する。
 戦国期には筒井方が西から南都に進出する拠点として利用したが、織田勢の加勢もあり筒井氏を駆逐した松永氏が永禄十二年(1569)にも城は破却されている。しかし、その後再び筒井氏が盛り返してくると城は修復され、天正八年(1580)まで維持されていた。

『日本城郭体系10』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
城にめぐらされた空掘  超昇寺城跡の現在はほとんどが竹藪の中となっていますが、外目にも深く大きな掘がめぐらされていることがよくわかります。現在も当時の地形が偲ばれる竹林の中に踏み込むと、完全に城跡であることが実感できます。
 城跡は堀に囲われた郭が3つに分かれているように見えます、が当時は違っていた可能性大です。掘底を歩きながら南側に回っていきますと方形状の地形となりますからひょっとしたらここも郭なのかな?と思わせるようになっています。
 城域は城郭体系の縄張り図を見ていますとかなり広かったことがわかりますね。付近の住宅図を見るとさらに面白いことがわかりました。「城本」「城田」「城山」など”城”がつく苗字の方が多いこと・・超昇寺山城に関係した名前なのかは不明ですが、かつてこの辺りが城跡であったことに由来した名前であることは言えるんでしょうね。
 場所は平城宮跡北西、歌姫街道がすぐ近くです。壬申の乱の頃、朱雀大路から山背国への国越えで大友皇子が飛鳥を攻めようとしたときにここを越えたそうですね。奈良のお城は歴史の宝庫なので調べる気になったら大変ですね(^^;
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