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上狭川城

上狭川城跡


登城日:(2012.03.20)
所在地: 奈良市西狭川町
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
上狭川城の土橋と竪堀 上狭川城の複雑な虎口  上狭川城は、狭川福岡氏の本拠地として室町時代後期に居城していたようである。また、城から南へ約300メートルほど離れたところにある狭川東公民館は館跡であったとされる。

『日本城郭体系』新人物往来社刊参照

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資料
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私見
東狭川公民館の十三重石塔 ”天文”と刻まれた刻文  上狭川城については技巧的な虎口を持った城だという程度の情報を持っていただけでしたが、案内人がいて下さることでこの日の城攻めは実に刺激的なものとなりました。というのも奈良大学の千田教授のご案内で春風亭昇太師匠とご一緒させていただけるのですから(^^)。事前に誘ってくださった師匠に感謝です。
 千田先生が最初に連れて下さったのは、狭川東公民館でした。「日本城郭体系」にも載っている十三重石塔を見るところから上狭川城攻めが始まるのですね。
 そして再び車に乗り込むと、そこから北方約300メートルの山上にある上狭川城を目指します。つづら折れとなった山道を約5分、比較60メートルの城山はすぐに尾根上に到達できました。左手が主郭を含むお城の中心なのですが、まずは右側へと進路をとり南側から順番に遺構を見ていきます。お城の南側には二つの堀切が作られていますが、外側の堀には最近整備された林道がつながってきているようです。ひょっとするとさきほどの公民館からつながっていたのかもしれませんので、急斜面を登る必要はなかったのかも。さすがの先生もこの状態はご存じなかったですね(^^;。
城を前に談笑する千田先生と昇太師匠 堀底道  いよいよ城攻めです。二つ目の堀切は竪堀とつながっており、虎口へは土橋でつながった状態です。まさに城と対峙する格好で一行は上狭川城の堅牢ぶりを改めてまざまざと思い知らされたのです。千田先生の詳しくて分かりやすいご説明と、「へぇ〜!!」「ほほー!」という昇太師匠の興奮された相槌が我々をぐいぐいお城の世界に引き込んでくださいます。二人が並んで談笑されている姿は、テレビで見ているようです。
 しかし、この上狭川城はほんとひつこいほどに虎口に力を入れていますね。合計6回もの進路変更をしないと主郭にたどり着けないという実に技巧的で複雑な虎口周辺の遺構にはやられっぱなしの一行です。
 主郭に到達した時には満身創痍(笑)でした。東側の土塁は崩されている部分もありまうが、概ね四周を土塁で囲まれた方形の主郭の様子はよくわかります。しかしさきほどまでの徹底した防御を意識した遺構と比べると違和感を覚えますね。郭の中は下草も生えていてあまり写真を撮るには向きませんが、城の構造を理解するには問題になりません。そして一通り歩いて北側も確認します。こちらは南と比べて防御意識がさほど感じられませんが、下狭川城など周辺の城との位置関係も考慮しないといけないでしょうね。
土塁が削られた主郭東側 主郭の土塁  いやぁ〜こんないいお城が案内板1つない状態で保存されているのは勿体ないと思いますよ。是非ともいろんな方に見ていただきたいお奨めのお城の1つだと思います。最後に再び虎口付近に戻ってきた我々は、攻め手と守り手に分かれて、合戦ごっこに興じて楽しみました。いい大人が(というかこれは番組にしないと(笑)。)夢中で「うぎゃぁー」とか言ってるのもいいものですねぇ。
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