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小泉城跡
登城日:(2003.03.07)
所在地: 大和郡山市小泉町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 小泉神社にある小泉城移築門  南北朝ころから名をあらわした有力な地侍である小泉氏の館が、周囲より一段高いこのあたりにおかれていました。これが小泉城のはじまりです。江戸時代の元和九年(1623)、片桐貞隆が、この中世の小泉城を利用するかたちで陣屋を構え、小泉藩が成立しました。その後、延宝元年(1673)に内堀が完成し、陣屋としての体裁が整ったといわれています。また、街道沿いに城下町も形成されました。北ノ町、本町、中之町には今もその面影が残されています。

◆林庵
 林庵は石州流茶道流祖片桐石見守貞昌「片桐石州」の旧片桐城跡です。現在は財団法人林庵、石州流茶道宗家の本部であり片桐家の居であります。
櫓風住居?と水堀跡  片桐石州は小泉藩二代藩主で徳川四代将軍家綱の茶道指南でした。
 石州流茶道は江戸幕府御政道の茶として、大名、武家、御家人等を中心に日本各地に普及した「武士の茶道」です。
 片桐家は豊臣秀頼の家老としてまた賤ヶ獄七本槍の一人として加藤清正らと共に武勇を馳せた「片桐且元」を祖とし(1615年死去)、且元の弟貞隆(片桐石州の父)が遺領を受け、貞隆死後、嫡子片桐石州が家督を継ぎ、1629年寛永四年、二十二才で二代藩主となったのであります。1673年延宝元年、六十九才で死去後、代々十三代までがこの地の大名でありましたが、武家社会が終り明治の御代を迎えてからも十四代(子爵)、十五代(子爵)、十六代と連綿と守り伝えられています。

『小泉城跡案内板』より

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資料  

私見 小泉城址碑  JR「大和小泉」駅から徒歩20分くらいで小泉城跡にたどり着くことができます。が、まずは城跡から南へ5分ほどいったところにある小泉神社から先に見ることにしました。
 小泉神社の歴史は古く室町初期よりまつられているようです。小泉藩との関わりは片桐家より献茶の儀が行われていたようです。神社の石段をあがったところには小泉陣屋の城門が移築されており、「城門」と札がつけられていました。(笑)
 そこから落ち着いた村中を散策しながら城跡へ。池のような水堀と二重櫓?というのか、民家がありました。現在はお茶の家元が住まわれていて、よくよく見ると家っぽいつくりもあり、写真の構図には非常に気を使います。
 そこから東方面へ住宅地の中を捜していますと城址碑と案内板も作られています。やはり城跡が私有地なので離れた場所にしか作ることができないのでしょうか。碑のある地点から大きく段差がある下へと階段を下りていきますと周囲のくぼ地が掘跡のように見えることに驚かされました。
 しかしなぁ・・・もうちょっと城っぽくしてほしいなぁ・・>家元様。って個人住宅だから仕方ないんだろうとは分かってるんですが・・・。
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