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若槻環濠跡


登城日:(2005.10.30)
所在地: 大和郡山市若槻町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
南側に立つ碑 天満宮そばの環濠の状態が一番いいです。  鎌倉時代には散村形態であったが、室町時代に集村化し、環濠集落が形成された。『若槻庄土帳』などの史料も豊富で、環濠の形成の過程や村の変遷がよくわかる貴重な例である。環濠は全体によく残っており、とくに西側の天満宮、観音堂の周囲には土居などの施設も残っている。環濠が形成された時期は文正元年(1466)以前で、環濠がつくられた時期が特定できるので全国的にも有名である。『郷土記』には「若槻平城」、『大乗院寺社雑事記』には「若槻塁」などの記事が見える。

『若槻環濠跡案内板』より

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資料
 

私見
北側案内板そばはコンクリートで固められています。 若槻環濠を南側からのぞむ  大和郡山市内には多くの環濠集落が存在しています。この若槻環濠もそのうちの1つでして、地図で見ると東西に長く延びた格好になっています。周囲に環濠を備えていることがよくわかりますね。ただ多くはコンクリートで固められてしまっていますが。(^^;
 この環濠集落を当サイトで扱うかどうかということに少々抵抗がありました。1999年に実施された発掘調査では検出された環濠の一部で18世紀初頭に掘削されたものであることが明らかになりましたので、軍事的な機能よりも灌漑的機能を強く有するものであるという見方ができるようです。しかし私は軍事的な施設を有し、幾多の戦乱を迎えてきたんだと思うことにしています。
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