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柳生陣屋跡
登城日:(1999.08.06)
所在地: 奈良市柳生町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 見つけにくいですが柳生城址発見  柳生は剣豪の里である。
 柳生陣屋跡をはじめ家老屋敷柳生家墓地や芳徳寺に保存されている数々の宝物に剣豪のありし日をしのばせている。
 柳生陣屋は柳生新陰流を生み出した宗厳(石舟斎)の子宗矩が亡父宗厳の菩提を弔うため芳徳寺を建てひきつづき三年の歳月を費やし寛永十九年この地に建築したものである。「柳生藩旧記」によるとその坪数は1374坪(4534u)表は竹の枝門であったと記されている。
 その後宗冬により増築整備されたが延享四年(1747)の火災により全焼し、仮建築のまま明治の廃藩により姿を消した。
 奈良市ではこの柳生陣屋跡を庭園文化研究所長森蘊工学博士の調査・設計により公園として整備したものである。

『柳生陣屋跡案内』より


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資料  

私見 屋敷跡。土台だけ復元されています。  この柳生一帯にはたしか柳生古城、柳生城、そしてこの柳生陣屋跡があるはずでした。しかし観光案内にのっているのは柳生陣屋跡だけでした。しかも、いざ行こうにもなかなか近くに場所を指示してくれる案内板がなくてとまどってしまいました。
 なんとか陣屋跡をみつけて付近を踏査してみましたが、かつて発掘調査されたんだろうなというのはわかりますが、どうも現状はあまり観光資源として活用しよう、あるいは貴重な歴史的遺産として復元させようという意志は感じられませんでした。屋敷がたっていた構造はよくわかりましたが、なんかそれだけといったほったらかしの印象を受けました。
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