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柳生古城跡


登城日:(2005.06.19)
所在地: 奈良市柳生下町字古城
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
上から見下ろした鉤形空堀  柳生古城は、1331年(元弘元年)後醍醐天皇が側近の日野俊基らと討幕の計画を進めていたところを発覚してしまい笠置山で挙兵することとなった。この元弘の乱の際に柳生永珍が古城山において天皇方の糧道を確保しようとしたのが始まりであったとされている。
 後の天文十三年(1544)に筒井勢の攻撃をうけ、柳生本城よりも先に落城したとされる外城が、この古城であると言われている。

『日本城郭体系10』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
さらに空堀! 剣塚奥にある空堀も見事です。  柳生古城は、柳生城北方600メートルの山上にあります。標高305メートル(比高65メートル)の古城山はそれほど高い山じゃないですが、かなり急な傾斜ですので意外と疲れます(^^;。ほぼまっすぐに伸びる登城道が緩やかな頂部に近づくと空堀が出てきました。この空堀こそ柳生古城最大の特徴である鉤形の空堀です。堀底を歩きながらその曲がり具合を確認してみました。二度直角に曲がって進んでみましたが回りがよく見えない為、上から狙われているような錯覚に陥り、ものすごく不安になります(^^;。
 空堀はこのほかに三本作られていますがあとのはすべてまっすぐに掘られたものです。郭は二段に分かれており、奥には「さすが柳生」ですね、剣塚が作られていました。眺望はよくないですが、満足感はかなり高めとなること請け合いですよ。
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